旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
201918171612100908年〜07年05年〜04年

■覚正庵について 2003年4月

 私、正文が4月で還暦を迎えるのを機に、私共の生活や仕事の内容をご覧頂き、共に語り合える「心の場」になる様に願いホームページを開設することにしました。

 当家の家業は、京都で神仏具工芸の木地製作を四代にわたり営んでおります。三代目の亡父が、生前に法名『覚正』を頂き気に入っており、自宅を覚正庵と名付けていましたので、タイトルにしました。

■覚正庵だより|2008年〜2007年|

【No.1】2008年6月25日更新

2008年6月
車の寄贈
故容子の愛用車(リフト付き介護車 トヨタ製)を故人の妹が共同経営する、福祉処 さくらに寄贈いたしました。お願いを致しました条件は、車に故人の法名『容光号』と命名して頂く事を快く承諾していただきました。
 
   
2008年5月13〜16日
新婚旅行 屋久島〜鹿児島
容子の忌明けも済み、若い夫婦も落ち付いてきたところで、3泊4日の旅に出かける。
   
2008年5月3日
忌明けのお知らせ
新緑の候、皆様にはいよいよご清祥の事と、お喜び申し上げます。
さて、米澤容子(法名 純心院釈尼容光)が、さる3月19日午後4時10分突然の心不全により59歳で逝去いたしました。
お手次寺の真宗大谷派 長覚寺御院にて3月20日お通夜・21日告別式を執り行い、5月3日自宅にて忌明け法要を済ませました。
故人生前中は、ひとかたならぬご厚情を賜り有難うございました。
故容子は、昨年2月入院中に医師から末期と宣告されましたが、自ら医者と相談して薬を減らしたところ4月頃から奇跡的な回復を致し穏やかに過ごして居りました。
今年に入って、長男の結婚話がまとまり、4月5日 本願寺派一行寺様にて式を挙げ、披露宴は、京都グランヴィアホテルにて行うことが決まり、結納から引き出物に至るまで段取りをしてくれておりました矢先の事でした。
人生の半分を病と共に生きながら、私と3人の子供を立派に育ててくれました。
また、お陰様で、長男夫婦も同居をしてくれており、喜んでおります。
最後になりますが、皆様の益々のご健勝を祈念申し上げます。
 
合掌
平成20年5月
米澤正文
   
2008年4月13日
郁文中学校34年卒 第3回同窓会
 
   
2008年4月5日
長男の結婚 次女の結納から仏前結婚にいたるまで
 
仏前結婚式
披露宴
   
2008年3月24日
正隆 京仏具 伝統工芸士(伝統的産業振興協会)の資格を得る。
   
2008年3月20〜21日
容子(法名 純心院釈尼容光) 通夜 告別式
   
2008年3月19日
容子逝去 4時10分心不全による。
   
2008年2月24日
結納 山崎家にて。
   
2008年2月14日
鈴木千晴(孫)の初節句の祝いにお雛様を5人で選び購入、これが最後に乗車になる。
 
   
2008年2月
容子のお見舞いに兄妹始め、親族が来てくださる、以後、奇跡的な回復を見せる。
   
2008年2月
入院先の京都市立病院の先生より、末期症状と宣告され、2月末に退院を自宅療養に入る。
   
2008年1月初
正隆 本人・両親が結婚を承諾
式は一行寺様・披露宴は京都グランヴィアホテルに2人で決める
   
2007年11月末
京都リハビリセンタ-へ足の指が化膿のため入院、2007年2月心臓が悪化京都市立病院に緊急転院する。
   
2007年11月21日
容子の父(網田義雄)が亡くなり33回忌を網田家の配慮で、自宅で勤めることになり、福井の永正寺様、京都の一行寺様はじめ、兄弟・甥・姪が集まり、容子との再会を喜ぶ。
   
2007年10月末
正隆 共通するお人から、山崎利恵さんを紹介され 初のデート
   
2007年4月
次女の鈴木一弘・寿代に第一子女児誕生 千晴
 
 
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