旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
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優れた“ワザ”が受け継がれる   クラフトの近代化
  吉田 西陣や京友禅も必死です。流通過程で値段が何倍にもなっていて我々もびっくりすることがあるのですが、職人はどこも必死ですよ。

知事 クラフト会議でも問題になったのはクラフトの近代化ということです。大衆化社会の中で手作りだけではやってゆけない。当然流通の問題も考えなければなりません。

樋口 西陣でも企業化している面と手仕事でやってる面と両方ありますが、伝統産業は手仕事の範囲です。手ばたは老人が多く、若い人でも40歳ぐらいとなれば将来が心配です。手仕事の方にスポットをあててもらいたいと思います。流通にしても、手ばたと力織機のものが同じ値で売られるとなれば、当然みな機械にいってしまいます。

司会 会長さん、青年会はその問題にどう取り組んでいるのですか。

米澤 府の方から来て頂いて、伝統産業の振興のための審議会を作ろうといま準備を進めているところです

中川 仲間と話し合い研究していく場所がほしい。仕事を済ませて我われが集まるのは、どうしても7時になります。伝統産業会館は9時までですから、あとのディスカッションはホテルのロビーにたむろしてやるという現状です。

吉田 京都ではちょっと友禅を習った人がムードに便乗して金もうけに精を出している。あんなものがよそで京友禅として通用しているのかと思うと情けない。

司会 いまの大衆化社会の流通機構と高い技術と相容れない場合があるんですね。

吉田 いつまでも古い体質のままで壊れてしまいます。

米澤 集団化ということも今後いっそう考えられてくると思います。

知事 クラフトマンが業種ごとに集まって組織化されることは必要ですね。流通段階で力を持つためにも。小さいクラフトマンには融資も必要でしょう。

司会 時間になりましたが、まず大切なことはクラフトマンが自分の力で現代に生きようとする努力ですね。それがあってこそ、一般府民の大きな枠の中で行政が応援に出て行ける。それが大事ですね。

知事 京都の伝統を守り発展させていくために頑張っていきたいですね。クラフトの近代化という課題に行政も真剣に取り組んでゆきたいと思います。

司会 どうもありがとうございました。
 
   
  昭和54年3月  
  京都の伝統産業   匠の譜  
   
  企画・構成  京都市経済局・京都デザイン協議会  
   
  いま京都から  
  「座談会」
平安建都以来やがて1200年。この長い歴史とともに生きつづけ はぐくまれてきた京都の伝統産業は繁栄する物質文明の中で よりたしかなもの、より人間的なものを求めようとする 内外の多くの人々の心と触れあって、新しい文化的価値を創りだそうとしています。これは、そんな京都の 明日のために、いまを語る座談会です。
吉田光邦(京都大学教授) ・ 柴田献一(世界クラフト会議・京都プログラム部会長
前原利夫(京の伝統産業秋春会会長) ・ 米澤正文(京都伝統産業青年会会長)
司会 西脇友一(京都デザイン協議会理事長)
 
     
 
 
   
 
昭和54年4月11日(水) 京都新聞
 
  手腕、人柄買われ《三連投》  
  京都伝統産業青年会会長  米澤  
   
 
  「会長を2年務めましたからお役ご免と思っていたのですが、先月末の理事会で引き続けてやれということになりました….」という米澤さん。会長の任期は本来1年だがここ数年2年というのがパターンとなっていた。まとめ役としての手腕や人あたりの良さ、粘り強さが買われての《三連投》。「引き受けた限りは微力ながらも精一杯やるつもりです」と早くも3年目の総仕上げに全力投球の構えをみせる。そしてその一つが六月に実施する海外研修の復活。「不況など目先的なことにとらわれて中断していたが、ヨーロッパの伝統産業を直接見聞きするのは人材育成など業界にとってはプラス。
 
  これからも隔年で実施したい」と言い、さらに「全国の伝統産業青年会の技術コンクールも恒例化し、お互いに情報交換をしたい」と目を輝かす。しかし、ヤル気満々の米澤さんもかたや京都仏具工芸会の理事長として一年目の成果が問われる時だけに、体がいくつあっても足りないのでは、の心配の声もあるが「若いうちは一日四十八時間ぐらい有効に使わんと」と、本人は一向にとんちゃくなし。  
   
 
昭和54年5月11日 京都新聞
 
   
    嵐山渡月橋一帯に王朝のみやびえお再現する京都嵯峨・車折神社の三船祭は20日行われるが、紳幸列の中心となる牛車の解体修理が終わり10日、京都仏具工芸会からどう神社に納められた。  
 
この牛車は、昭和の初めに作られたが、物資不足の終戦直後に漆の塗り替えをしただけで、あじろ屋根に穴があき、扉がひび割れするなど痛みがひどかったため、昨年8月以来、約7百万円をかけ解体修理していた。とくに直径1.6mの車輪はひずみを生じガタついていただけに、複元にひと苦労したという。
 
  ・・・本格的な修理は、40数年ぶりがけに、黒い漆塗りの車体に飾り金具と彩色がまばゆいばかりに映えて新車同様。この牛車は当日午後1時、本物そっくりの“模型の牛”にひかれて渡月橋を渡り中の島はと向かう。  
   
 
昭和52年(1979)7月1日
 
   
  昭和52年度伝産青年会定期総会
ごあいさつ
 
   
    京都府、京都市、親組合関係者各位様には、伝統産業に携わる若者を真の後継者に育て上げるのだという大きな展望に立って頂き、力強いご指導を賜っておりますことを心より御礼申し上げます。  
 
昨年は、当青年会結成15周年記念として多彩な行事を催すことが出来ましたことは、加盟35単位青年会並びにご出向して頂きました役・委員諸兄の天職としてとらえている仕事と青年会に対する情熱の結集であったと感じております。
京都・伝産業界の総力を結集して開催した「京都伝統産業総合展」は、大成功裡に終える事ができました。
 
 
とりわけ、世界クラフトマンの集う第8回世界クラフト会議協賛と全国工芸品青年展が出来ましたことが、大きな意義を持ってまいりました。「世界にはばたく伝統の技」のテーマ通り、世界各国のクラフトマンや全国の業界人京都の豊富な業種、技術水準の高さ、格調高い製品を認識せしめたことは非常に喜ばしい限りでありますが、一方国内においては、昭和49年に伝産法が制定され、全国各地において伝産法の指定が認められ、その数、百数十を数えるにいたっており、伝産業界の戦国時代を迎えようとしている時、いかに、京都の業界が戦国の世から一歩抜き出るかが今後の伝産業界の大きな問題点と思われます。この問題を考えて行けるのが、京都では伝産青年会であります。今ほど加盟35単位青年会の結集が重要な時はありません。最後に世界の伝統産業「京都」にするため会員諸兄のご協力を切にお願い申し上げます。
 
   
  第6回ヨーロッパ伝統産業の研修団・視察団出発  
   
  昭和54年6月20日〜6月29日  
   
 
  京都伝統産業青年会「欧州伝統産業研修団・視察団」が6月20日出発しました。研修団の団長に帯地の樋口恒樹氏、視察団の団長に京人形の桂憲之氏の一行27名は、6月20日、市役所前に集合、米澤会長のあいさつの後、盛大な見送りを受け、10日間の旅にでました。「欧州伝統産業研修団・視察団」は、昭和46年より5回にわたり派遣されていましたが、諸事情により51年度より中断しておりました。
 
  当青年会では、伝統産業の業界拡充に対する審議会の設置に取り組んでおります。その一環事業としてこの度、京都府・京都市のご協力により復活し、久々の第6回の研修団・視察団の派遣となりました。団員の皆様の成果を期待しております。  
   
  参加者名簿
研修団・視察団 責任者 米澤正文
 
   
 
研修団団長 樋口恒樹(帯地)・団員 米澤正文(仏具工)・中谷宜久(表具工芸)寺島寺朗(染技連)・澤田佳与子(伝青事務局)
視察団団長 桂 憲之(人形)・伊藤雄二(友禅)・大橋祥二(人形)・金子 寛(京信職員)・菊川徳治(石材)・岸本 務(友禅)・北村恒男(友禅)・粂井道男後藤忠久(山宗商店)・下邑 隆(菓子)・白井靖彦(石材)・曽根勝吉(西陣)・中谷 博(仏具工)・西澤弘元(人形)・野尻 昇(人形)・羽田 登(友禅)・林 正男(仏具商)・福田真一(人形)・松尾 昇(仏具工)・矢島 昇(仏具工)・山本安彦(石材)・吉田隆男(工芸染匠)
 
 
 
   
  海外研修の報告(抜粋)
フランス・パリ  ゴブラン織物工場(セーブル陶工所)
 
   
    伝統産業青年会として何回となく訪れている所であるので内容は簡略する。
一般の人々には手に入らない製品を作っている、これらの製品は、国家の要職、又、外国の要人の室内装飾や食卓を彩るためのものであり、伝統産業としての意義からは遠い別世界の観がするしかし伝統ある技術技法の伝承には、最善かもしれない。にほんでも、世界に誇れる素晴らしい技術を駆使した作品が、今日再現出来なくなっている業種もある。これらは、国家で保護育成しなければならない。そして、それらの作品はフランスの様に日本の記念品として世界に持ち歩く時ではないかと思われる。
 
  (担当 米澤)   
   
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