|容子経歴|容子日常生活|容子日記| |
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【日記の原本】 |
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第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める |
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- 平成五年十月一日(金)
今日は、おばあさんの八十一才の誕生日、ディサービスから帰ってこられた時、職員さんから昼頃から頭が痛いと言って自分で食べようとせず、食べさせたら少しだけ食べて、入浴後薬飲ませてもらい、ベッドで寝させてもらったらしいとお聞きしたので早速、病院へ電話したら、血圧も正常で熱もなかったら心配することはないから様子を見て明朝、又、電話下さいとの事。寝違いの痛みがまだ続いているだけなら良いのだが。千葉の兄から梨送って来てくてた。折角高い送料出しておくってくれたのに梨ばかり食べてあきていたところで嬉しくもあり悲しくもありなんて言ったらバチが当たるかも。
- 十月二日(土)
希代子は会社の研修、寿代はクラブでいないので高橋さんに無理言って来て頂いた。おばあさんがまだ頭が痛いと言うのでお医者さんに診て頂いたが心配ないとの事、一週間程は痛みが続くかも知れないとの事、頭おさえて元気がないとどうして上げることも出来ず困ってしまう。
- 十月三日(日)
今日はお天気が悪かったせいか又三時頃迄、身体中が痛くてしんどかった。主人も歯茎が腫れて物がかめないからと食欲もなく総入れ歯にしてもらおうかと言っていたが、早く歯医者さんに診てもらったらいいのに、なかなか診てもらう時間がないのかな。
- 十月四日(月)
正隆が今朝は、胃が痛いからと仕事行く用意していたがしばらく横になると言って休んでいた。胃液を戻し何も食べられず結局一日休んだ
- 十月五日(火)
今日もまだ胃が痛いと正隆は仕事休んだ。リンゴジュースとお茶だけしか飲めず、寿代が教育実習から帰って来てから西京都病院へ送ってもらった。二時間程して帰って来たが、胃炎とのことで薬だけもらって来た。何故胃炎になったのかよくわからないが、たぶんよくかまないからだと言ってみたものの、身体が弱いので心配だ。主人もこの間から、歯茎が痛いと言っていたがライオンズの川島さんに診ていただいたら疲労との事、会合も多く飲む量も多くなったりしているのも、原因じゃないかな。
- 十月六日(水)
今日は正隆、やっと胃炎治まったらしく仕事へ行きやれやれ。主人の歯茎も少し治まったようだ。誰か一人でも具合の悪いのがいると心配だ。
- 十月七日(木)
今朝ベッドから起きようとしたが、どうしても起き上がれず寿代に起こしてもらった。昨年退院してから一年がたったが、こんなことは退院以来初めてのことでショックだった。やはり一年前、いや半年前とは大部悪くなって来たのかな、でもまだ痛い乍らも一人でトイレに行って立ったり、ズボン等の上げ下げが出来るだけ喜ばなくちゃ。
- 十月八日(金)
今日は一日雨降りで、おばあさんがディサー
ビスから帰って来る時、寿代が教育実習から帰る時、やみますようにと思っていたのに、ちょうどその時間等が一番きっかった。
- 十月九日(土)
今日はいいお天気になって、朝方寒かったが日中は、小春日和の暖かさになった。
- 十月十日(日)
今日は桂川学区民運動会なので、主人は朝からずっとお世話に行き、夕方は森下公園で打ち上げがあり、その後近くのスナックに二次会に行った。正隆は友達とエキスポランドへ行ったらしい。
- 十月十一日(月)
主人は昨日の疲れもあり、一日ゆっくり休んでいた。正隆が夜九時半頃、帰って来て「事故った」と言って右手首に湿布貼っていたのでびっくりして訳を聞くと、滋賀県の道路でバイクに乗っている時、横に走っていた車が、対向車が曲がって来るので通そうとして止まった所に、正隆が直進して曲がって来た車と、ぶつかり横転して右手首を捻挫したらしい。相手が診療所に連れて行ってくれたらしいが、レントゲンも無いので応急処置だけしてもらったそうだ、明日近くの病院でレントゲンとってもらうようにとの事で、まああまり大事にいたらずに良かったものの右手なのでしばらく仕事がしにくいだろう。
- 十月十二日(火)
今日は、西京都病院で診てもらったら骨折していて、治る迄に最低三,四週間かかるだろうとの事、ギブスはめて首からつっていたら当分仕事は出来ないし不便だ。治療費は相手が出すらしいが、バイクの修理代は九割程しか、でないのではないかと光川さんがは言っておられた。
- 十月十三日(水)
主人は昨夜帰らなかったので、多分工場に泊まったに違いないとは思い乍ら、又、飲み過ぎてゲーゲーやってどこかで行き倒れて、ないかと悪い事想像してあまり眠れなかった朝、電話したらケロッとしてでたのでこちらもケロッとしていた。正隆は仕事出来ないしお父さんも困るだろう。
- 十月十四日(木)
今日は寿代が休みだったので、本当は明日がおじいさんの、祥月命日だったが明日は金曜日でヘルパーお休みなので今日は、長覚寺さんに御参りに来て頂いた。早明日で、おじいさん亡くなってから満七年になる。昨年7回忌に私もおばあさんも退院して一年になる、お蔭様で特に変化も無くみな無事に過ごせてありがたいことだ。昨日三時頃、おばあさんがトイレ行きたいといって、立ち上がって歩いてトイレに行き、オムツをおろしたところ、便がベタベタついていて、お尻も便器もパジャマも手も、便だらけになりどうすることも出来ないので、福祉協会に電話して伊藤さんに来て頂けないかたのんだら、お留守だからとコーディネイターの笹江さんが、駆けつけて下さり手際よく後始末して下さり、お尻も便器もきれいにふいて頂き本当に助かった。有難いことと感謝している。
- 十月十五日(金)
おばあさんがディサービスから帰って来た時、先日書いたお習字を頂いた。「おだんご 米澤のぶ」と小さな字で書いてあった。色々なことをさせて下さり感謝しているが、おばあさん自身は楽しんでるのかどうかよくわからない。
- 十月十六日(土)
今日は曇ってどんよりしていたが身体は、あまりしんどくなくて良かった。でも四、五年から膀胱の栓がゆるくなったというか、知らないうちに出てしまう尿失炎と違って、したいと思ってトイレに行き立つ迄、又は下着を脱ぐ迄にチビチビともれてしまい、しょっ中下着ぬれてしまい度々換えられないので、濡れた下着をそのままはいたりするので気持ち悪いしくさいし、情けなくなる。おまけにお風呂は週一回か十日に一回、気持ち悪いし元気な時だったら許せない程不潔でいやになるが仕方がない。仕方ないとあきらめて何年もなるし、慣れたりするのはすごくいやだけど慣れざるをえない。
- 十月十七日(日)
今日は御霊神社のお祭りで、主人は朝からお手伝いに出かけた。一時半頃、家の前をワッショイワッショイ子供神輿の通る声が聞こえたので、窓から見ようと思ったが窓が閉まっていたので、玄関のガラス越しに雰囲気だけ見えた。夕方用事を終えて帰って来たが主人は、よその子供さんにはなつかれるので米澤のおっちゃんと慕われたらしい。
ワッショイと 太鼓の音に 椅子こげば ガラス越しにて 神輿過ぎ行く
- 十月十八日(月)
2,3日前からおばあさんが今度は左の前の頭が
痛いと言い出し様子を見ていたが、食欲はあるし熱はないしこの前の寝違いの時と同じなので大丈夫だろうと思うが、昼から又、頭が痛いと言うので病院に電話したら明朝来て下さるとの事、寝違いで前の方が痛くなるのもおかしいし、マクラちゃんとしていたので寝違いとも思えない。
- 十月十九日(火)
今朝、先生がおばあさんを診て下さったが血液が拡張する時に痛むのでしょう、どこも悪い所は見当たらないから心配いりませんとの事で一安心。実は結婚記念日、二十四年になる来年は銀婚式なんて、人事のように思っていたが、お互い年取ったんだなあ。
- 十月二十日(水)
今朝はとても寒かった。良いお天気なのにあちこち痛くて動きにくいところ、寒くてなおさら身体がこわばって例のごとく三時頃迄しんどかった。今日は、皇后様の五十九才の誕生日だったが急に倒れて、しばらくして回復されたそうだが、言葉が話せないとの事、過密スケジュールや週刊誌等の皇后批判などで心身共に、お疲れになったのだと思う。少し休養される時間が必要なのではと思う。
- 十月二十一日(木)
最近おばあさんが、寝ている時にオムツをはずしてしまうので困っている。オムツをはずせないようなつなぎのパジャマを、カタログで見たがオムツ交換がしにくそうで、何かいい方法はないかな。
- 十月二十二日(金)
今日はリハビリセンターへ行く日で、村松さんにタクシーで連れて行ってもらった。先月医療受給者証を頂いたので、今日から医療費が無料になり助かった。久し振りにリハビリして頂いたが、身体が随分硬くなっていた。植田先生女の子が生まれたらしい、きっといいお父さんになっておられることだろう。
- 十月二十三日(土)
今日は又あちこち痛くて、動きにくかった。今日は風が強く木枯らし一号だそうだ。昼から俄雨も降ったりして寒かった。又ストーブのいる季節になって来てうっとうしい、灯油もらいに行くのを皆イヤがるし、玄関も狭くなるし来年の四月頃迄いやだな。夜、千葉の兄より電話で北海道の長川の叔母さんが亡くなられたとの事、心不全らしい網田の母のお葬式の時に、お会いしただけでお付き合いも何もしていないが、母のお葬式に来て下さったのだから、やはりお香典はさせてもらった方がいいかな、長川の叔母さんて母にそっくりでとても親しみを感じた。
- 十月二十四日(日)
お昼前、ひょっこり黒井の叔母さんと隆康さんとお孫さんが来て下さりびっくりした。近くの鈴虫寺に病気治癒のお礼に来られて寄って下さったらしい。貴重なお米を頂いた。お昼は、魚仁の松花堂弁当を召し上がって頂き、おばあさんの様子を見て、とんちんかんな事を言ったりするので笑っておられたが、落ち着いた様子で安心されたのではないかと思う。
- 十月二十五日(月)
伊藤さんがベッドに付ける金具が、家にあったからと持ってきて下さった。竹を持つて来て下さるだけでも大変なのに親切な方。
- 十月二十六日(火)
おばあさんが又、オムツはずしてくちゃくちゃにしていた。最近ひんぱんなのでなんとか、はずさない方法を色々思案しているがいい知恵がうかばない。ベッドからもよくおちたりするので、それも考えている最中だ。
- 十月二十七日(水)
二週間ぶりに、幸子姉さんが来て下さったのでオムツはずしの事を話したら、サスペンダンはどうかと言われたので、それはいいアイデアだと思った。早速買いに行ってもらおう。
- 十月二十八日(木)
今朝も、オムツはずしてからオシッコしたらしくビショビショだった。寿代が早く帰って来てくれたので、サスペンダン買って来てもらった。ベッドから降りないようにするのに、リヒカをいっぱい広げて掛け布団の上に、乗せてみる事を思いついた。さてどちらもうまくいきますかどうか。
- 十月二十九日(金)
正隆が仕事場で機械で左手の親指をケガして武田病院で包帯ぐるぐる巻いて帰って来てびっくりした。右手は骨折、左手迄ケガして両方使えずかわいそうに顔も洗えずしばらく不自由だな、今度はまるきり仕事も手伝えないしお父さんも大変。
- 十月三十日(土)
来週から来て下さるヘルパーさんの、石津さんとコーディネーターさんと高橋さんの三人で十時頃来られた。石津さんという方も優しそうな方で安心した。高橋さんには一年間とてもお世話になり、何かお礼したいけど規則で止められているので、何も出来ず心苦しい。おばあさんが四時半頃だったか、又トイレに行くと言って立ち上がり、歩こうとしてひっくり返りピアノの脚で頭を打ち、血が沢山出てびっくりした。正隆しかいず正隆は両手使えないので救急車を呼んで、お父さんに電話をした後で希代子が帰って来てくれたので、又救急車について行ってもらった。又、入院しなきゃならないと用意する物をメモして待っていたら、タクシーでおばあさんも帰って来た。出血の割には傷は浅く、消毒しただけでよかったらしく本当にほっとした。食欲もあり頭も痛くないらしく安心したが、これからは私と二人きりになる時は、紐で椅子にくくっておかないと、私では立って歩くこと止めれないし。
- 十月三十一日(日)
今日はおばあさん一日おとなしく座っていてくれて助かった。食欲もあるし心配なさそう。
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- 十一月一日(月)
正隆は今日で、左手のけがの点滴終わりで、帰りに仕事場に寄って来たらしい、何も手伝えなくてもやはり気になるのだろう、いいとこあるね。お父さんは最近アルコールに弱くなったのか、少し飲み過ぎるとトイレで戻している。あんなことばかり繰り返していたら、本当に身体こわしてしまうから、飲み過ぎにないよう言っても、ちっとも聞いてくれない。今、お父さんに倒れられたら米澤家も終わり、どうすることも出来ない。お父さん自身も、それをよくわかっている筈なのに、お酒をやめられない、困ったもんだ。
- 十一月二日(火)
高橋さんの後に、来られたヘルパーの石津さんはおっとりして優しい感じの方で良かった。
- 十一月三日(水)
希代子は友達と遊びに行き、寿代は藤井大丸のバイトで又、夕食は魚仁でとったが一品料理は見栄えは良いがたいしてお腹の膨れるようなものがなく、お父さんの御機嫌悪くて困った。明日はお父さんの好物作ってもらわなくちゃ。
- 十一月四日(木)
おばあさん、火、水は元気だったが、今日はまたおとなしく元気なかった。いつものことだから心配はしていないが、たまたま元気のないの日に来られた、ヘルパーさんは心配して下さる。明日は又元気になるだろう。
- 十一月五日(金)
最近はお天気も良く、暖かい日が続いて気持ちが良い。最近寝るとぬけた歯茎がうずくと思っていたら腫れて来て痛い、入れ歯をはめていなかったからかはめても痛かったと思う。歯茎に抜けた歯の根っこが残っているのが痛いような気がするがもう歯科へ行くのはいやだし困ったもんだ。
- 十一月六日(土)
寿代は朝早くから、学園祭に行き、希代子は昼から英会話に行き、夕方から友達の家へ鍋パーティに出かけた。
- 十一月七日(日)
今日は昼からお天気が、くずれ雨降りになった。
- 十一月八日(月)
高知県で伝統工芸士産業展があり、主人は日帰りで行った。
- 十一月九日(火)
正隆のギブスがはずれ、やれやれだが左手の抜糸がまだなのでのもうしばらく仕事出来そうにない。主人が伝産展の御土産に、箱根の寄せ木細工の財布とペン立てと小銭入れを買って来てくれたが、子供達は使わないので幸子姉さんが使って下さるならさしあげようと思う。
- 十一月十日(水)
おばあさんが最近、背中や腰がいたいと言うので、今日先生が来て下さった時お尋ねしたが、一週カルシウムの注射が抜けたからでしょうといわれたが、そんなことぐらいで痛くなるのか疑問だ。
- 十一月十一日(木)
二週間振りに、幸子姉さん来て下さりおばあさんよろこんでいた?と思う。サスペンダーとリヒカ上手いこといってると言った矢先に、リヒカを押しのけてベッドに座ったのには驚いた。サスペンダーも今朝はずしてたし、なんだかがっかりした。
- 十一月十二日(金)
テレビ等で、お年寄りや身体障害者の人達が、イキイキと自分の生きがいを見つけて、頑張っておられる姿を見ると私もこのままではいけない、何かに一生懸命打ち込んで残りの人生を、悔いのないものにしなくてはとあせってしまう。そのくせ具体的に何をしたら良いかわからず、家族に迷惑をかけずに出来ることと言うとなかなかない。そんなこんなで毎日だらだらと過ごしている事に、罪悪感を感じている。
- 十一月十三日(土)
午前中、外は薄暗く今にも降りそうだったのが、昼から雷を伴ったすごいどしゃ降りになった。夕方遅くにはやんだが、久し振りの雨だった。
- 十一月十四日(日)
今朝は昨日とうって変り、とても良いお天気になり、外は汗ばむ程の暖かさだったらしい。主人は昼から、郁文中学の同窓会に出かけた。主人は地元の人間だから同窓会と言ってもそんなに懐かしさを感じないかも知れないが、私などそれこそ何十年と会ってない友がほとんどだし、すごく会いたい気持ちが強いが、こんな姿を見られるのはいやだから、同窓会の案内がないのは却って助かる。でもこんな姿になる前に中学時代や高校時代の友達に会いたかったなあ。
- 十一月十五日(月)
今日は暖かくて、良いお天気だった。主人の知人より牛肉頂き、岩田さんより大きな生椎茸を頂き、今夜はすき焼きにした。
- 十一月十六日(火)
昨夜は足、特に膝と足首が痛くて眠れなかった。晩から朝迄ぐっすり眠ったことがないが痛くてねられないのは辛い。足首も早く固まってくれないかな。
- 十一月十七日(水) おばあさんは最近、背中と腰の痛みを言わなくなった。頭痛も言わないし、調子良さそうだ。
- 十一月十八日(木)
幸子姉さん、昼から来て下さった。先週の木曜も雨降りだった。
- 十一月十九日(金)
今日は、リハビリセンターへ診察に行った。タクシーが早く来てくれたので、時間的に余裕がありレントゲンと血液検査してもらいリハビリもゆっくりして頂いた。原田さんと上田さんと稲垣さんにお会いした。
- 十一月二十日(土)
昨夜は少しさむかったので、足が冷えてなかなか眠られず、午前中あちこち痛いのと寝不足でボーッとしていた。おばあさんも今日は、起きるのがいやだと言って一日寝ていた。
- 十一月二十一日(日)
午後、土砂降りの雨が降り雷になった。主人も正隆も希代子も寿代も出かけていたが、雨には会わなかったらしい。
- 十一月二十二日(月)
昨日のお天気と違い良いお天気になったが少し寒かった。今迄が暖かかったので、例年よりはまだ暖かいのではないかと思う。朝晩エアコン付けたりするが、つけなきゃ寒くてたまらないような程のこともなく楽だ。NHK学園から通信教育の継続の案内来たが、最近短歌ちっとも作れないし、どうしょうか迷っているがやはり月謝出したら、一生懸命する気になるかもわからないし、続けようかな、水彩画もやって見たいが、ここのテーブルの上で広げて出来るか、心配。
- 十一月二十三日(火)
今日はだい寒いかった。勤労感謝の日だけど主人は仕事、寿代は朝五時半に起きてラクロスの試合、希代子は朝六時に友達の家から帰ってから十時頃迄寝て、習字をして夕方書道教室へ行った。正隆はお酒買いに希代子といっただけで家でゴロゴロしていた。
- 十一月二十四日(水)
今朝は一段と冷え込み北の方では、初雪も降ったとか。今朝はおばあさんズボン脱いでオムツもはかずし、お尻スッポンポンでパジャマもシーツもぐしょぐしょでサスペンダーが何の役にも立たずがっかりした。又振り出しに戻ったみたい、他の方法を考えなくちゃ。
- 十一月二十五日(木)
今朝も寒かった。テレビでよく京都の紅葉めぐり等見るが、二十七年間京都に住み乍ら一度も紅葉を観に行ったことがないので、テレビであちこち見せてもらって感嘆しきり、子供達には、折角京都に生まれて、暮らしているのだからあちこち見に行って欲しい。
- 一月二十六日(金)
最近左肩が痛く、手があげにくくて困る。今迄も痛かったが、じぃっとしていても痛い。
- 十一月二十七日(土)
昨夜は主人は、郁中クラブの会合があり仕事場に、泊まったらしい。朝夢を見ていて寝坊してしまった。
- 十一月二十八日(日)
昨日より生理になった。先月は三十日からチビチビ十日間もあったので、もっとおくれるかと思っていたのに、ポリープを取ってもらった後でもどうも不便だ。更年期の始まりなのかな、今回はめずらしくイライラっと怒りっぽくなった。毎日家にいてまともに会話出来ない、おばあさんと過ごして居ると、知らず知らずストレスが、たまっているのかも知れない。人の手をわずらわさずに外出がしたい。お風呂に入りたい。こぎれいにしたい。
- 十一月二十九日(月)
最近主人は歯を治してもらってから、何でも食べられるから、顔がふっくらして来たと、喜んでいる。仕事の方も正隆と二人なので気楽でいい、当分従業員を雇うつもりはないと言う。今の処不況は関係ないが、良くなる事も当分なさそうだし今雇うのは控えた方が良さそうだ。
- 十一月三十日(火)
今日は少し暖かだった。明日から師走で何となく気ぜわしい。又、年賀状もあるし、御歳暮させてもらうとこ考えておかなくては。一年なんか本当に早い、あっという間に老人の仲間入りしそうだ。
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- 十二月一日(水)
幸子姉さん来て下さる日は、よく雨が降る。午前中雨降りだったせいか、身体中痛くて動くのがおっくうだった。夜中あまり眠られないからか、昼間よくうつらうつらしてしまい頭がさえない。先日テレビで呆けにくい人は、毎日日記を書いて俳句か短歌をつくり、適当な運動する人とあった。運動は無理だが、日記と短歌はやはり続けなければと思い、短歌申し込みをした。日記は考えなくても書けるけど短歌はむずかしい。
- 十二月二日(木)
良いお天気で暖かかったので、おばあさん庭で日向ぼっこさせてもらい、私も玄関の陽のあたる所で座って気持ち良かった。
- 十二月三日(金)
寿代が昼から家にいたので銀行や、稔さんからたのまれていた漬物屋へ行ってもらった。私の通帳から寿代の授業料払ったりしたので、−八十万位になっているので、早く入金したいが、ライオンズ、希代子に貸しているお金を返してもらわないと入金出来ない。ライオンズは早く返して欲しい。希代子はボーナスが入ったら返してくれるらしい。
- 十二月四日(土)
久し振りに一日、希代子は家にいたので、買い物や灯油買いに、花屋さんで花買って、かごにきれいに生けてくれたりして助かった。
- 十二月五日(日)
主人と正隆は、仕事で大阪行き。希代子と寿代が洋服を安く売ってる店で、二千円程のセーターを五枚程買って来てくれて、主人と正隆の作業用や普段着に使える。
- 十二月六日(月)
ぼつぼつ年賀状を書く頃となった。喪中挨拶状も次々届き今年も沢山なくなったんだなと、改めてわびしくなる。希代子はプリントごっこを使って手書きで上手に年賀状作り、市販の物よりずっといいのが出来た。
- 十二月七日(火)
毎日の日課みたいなものだが、夕方頃になるとおばあさんは家に帰ると言い出し、おばあさんの家はここだと毎日かんで含めるように説明するのだがわからないらしく、本当の事を聞きに近所に行って来るとか、見て来てダメだったらここへ帰って来るとか、立ち上がって行こうとするので、歩いたら転んでケガをすると言っても聞かず、何度も同じ事を言ってとめているとうんざりしてしまう。歩くのだけは何としても止めなければと、おばあさんの椅子の横に座って通せんぼしている。三百六十五日 日課
- 十二月八日(水)
診察の先生が順調で、どこも心配することありませんと帰られた途端におばあさんが急に吐いてびっくりした。どこも悪いころないのに吐くと云うことは薬か何か喉にひっかかって咳き込んだ拍子に出たのかもしれないとヘルパーさんと推測した通りだったのかその後、変わりなかった。
- 十二月九日(木)
ここ数日は、小春日和が続いて暖かい。夜中、足が痛くて右を向いたり左を向いたりするので、ぐっすり眠ったことがない。左足首も又うずいてきた。一一四番の漢方薬は、効き目があると思っていたのに、やっぱり駄目かな。
- 十二月十日(金)
希代子は、会社の仕事を終えた後会社の人達と小浜の方へ一泊の予定で忘年会に行った。ボーナスもでたはずだ。正隆も今日もらったらしいが、いくらもらったのか教えてくれないし、バイクの修理しなきゃならないから、預金もしないだって。 夜、NHKの番組で、障害者のいる三家族のことが放映されていた。十二月九日は障害者の日だったらしい、最初は、生まれつきの脳性まひで、意思表示も出来ない十六才の少女の両親、妹、弟のかかわり方で、弟はどう接していいわからず殆んど話しかけることもせず、無関心をよそおっているが、「何も出来なくても生きていてくれる方がいい」と言った時、ほっとした。二番目は、耳の聞こえないお母さんを助けて、三才の時から電話の応対に出ていたというけいすけ君は四年生で、まだまだお母さんに甘えたい年なのに、小一の弟のめんどうも良くみて、自分のわがままを抑えて来たので、時々反抗的になるが、お母さんのせいで遊びに行けないなんて決して言わず、にけなげにお母さんを助けている姿に泣けて来た。
三番目は、二十五才の双子の弟さんが脳性まひで、ずっと両親やお兄さんの介護のもと暮らして来たが、両親も年を取って行くので今のうちから、自立して一人で暮らしてみたいと、他の障害者の人に相談したらまず介護者を探すことだと言われ、早速、街頭に出て介護して下さいと呼びかける勇気に感心した。 障害者が自立するということは、人に迷惑をかけることででも健常者だって多かれ少なかれ、人に迷惑をかけて生きているのだから、迷惑かけることを恐れてはいけない。ボランティアに頼らなくても、社会全体で障害者が安心して暮らせるようにしなければと、番組紹介の作家の山田太一さんと東大助手をして自ら障害のお子さんのおられる方が仰っていた。
- 十二月十一日(土)
明方おばあさんが、起きて戸をガタガタさせていたので、主人に見てもらったらオムツをはずしてベッドに座っていたらしく、主人にオムツあててもらうわけにいかないので、そのままにしておいたら、二時間程戸をガタガタさせて床に倒れていたのでそのままベッドに寝かせて、お布団をかぶせてもらい九時頃、寿代に見てもらったらオシッコで、そこら中ビショ濡れになっていたが、どこもケガがせず風邪ひかなくて良かった。でもサスペンダーもリヒカも何にもならず、不便だけどやはり差し込み式の棚をしなきゃだめかな、寝巻もやはりつなぎにしないとだめかな、どちらも不便で困るなあ。
- 十二月十二日(日)
希代子は、小浜から御土産に海老や干しかれい等買って来てくれた。会社からパッケージに書く字を頼まれたとかで、昨夜遅く迄かかって書いて今朝宅急便でおくったが採用されるといいけど、風邪気味だとか言い乍らお友達とエキスポへ遊びに行き、寿代も昼前バイトへ行ってしまった。休みの日ぐらいゆっくり家にいて休養したり家の用事をして欲しいのに、大抵出かけてしまう
- 十二月十三日(月)
希代子の書いた新製品のパッケージ用の字「牛もつ鍋」が採用されることになった。主人に報告したら横山社長さんが生きていて下さったら、希代子を採用して良かったと喜んで下さったろうにと残念がっていた。これをチャンスにこのような仕事を、これからもさせて頂けたらいいなと、虫の良いことを親子で思っている。やはり特技のあるということは強みだ。私は情けない程、特技が無いので来年からは頑張ってNHKの通信教育で水彩画と短歌に取り組んでみよう。十日に希代子は四十万、正隆は三十一万程ボーナス頂いたらしい。希代子はお土産と正隆にネクタイ、寿代にヘアバンドを買って来た。正隆も悪いと思ったのかミスタードーナツをどっさり買って来てくれた。
- 十二月十四日(火)
朝から雨降りだったせいか身体中が痛くぐったりして、下着の上げ下ろしもままならず自分に腹が立つて、イライラしてヒステリックになった、一年前とは大分悪くなって来てるし、足や手が痛くて夜も眠れず、じきにトイレにたってズボン下ろす迄に、オシッコをちびってしまい、しょっ中ズボンと下着を汚してしまうこと等イライラすることが多くお風呂も皆入れてくれるのを嫌がるから、我慢して週に一度か十日に一度になったりするのも入れてくれる人に腹立てる訳にもいかず、自分で入れるようになりたい、なりたい、でも無理。おばあさんも最近すぐオムツはじしたり、起きたりするのも気がかり、そんなこんなでストレスがたまっているんだと思う。希代子がボーナスで、主人にベルトおばあさんに室内履き、私にブローチを買って来てくれた。折角頂いたボーナス少なくなるのに家族全員に買って来てくれて嬉しいような可哀想なような気持ち。
- 十二月十六日(土)
十時頃、保健婦さんが来て下さり色々相談したり、アドバイスしてもらい帰られたのは十二時過ぎだった。元首相の田中角栄が亡くなった。
- 十二月十七日(日)
今日は診察日で、リハビリセンターに行く日だったが、朝起きる時から身体中が痛くて動くのがしんどいので、お薬だけ村松さんに取りに言って頂いた。二時頃から少しは楽になってきたが最近痛い日が多くて困る。針金入れてある肩の先が字を書いたりすると、突き出るような痛みがあり、字をかくのも苦痛になってきた。年賀状の宛書きまだ沢山残っているので、少しづつ書くしか仕方ない。
- 十二月十八日(月)
最近朝布団払いのけるのがしんどくて主人に、めくってもらう迄つい朝寝してしまう。
- 十二月十九日(火)
主人は久し振りに、一日家で休養していた。
- 十二月二十日(水)
夜、正隆の返りが遅いなとあんじていたら電話がかかり、バイクで走行中おばあさんにあたり、正隆はあたるまいとしてバイクを倒したがやはり少しあたり、おばあさんは倒れた拍子に、頭を強く打ってシミズ病院に入院されたとか、十月の事故からまだあまり日も経ってないのに又かという感じでびっくり、今度はこちらが加害者だから大変だ。頭の検査は、明日するそうだが、どうか大したことありませんように。正隆は腰をすりむいた程度だった。主人は、気が緩んでいる証拠だと大分お説教していた。皆気を引き締めて行かなくては何が起きるかわからない。
- 十二月二十一日(火)
今朝。昨夜正隆がバイクで当てたおばあさんの娘さんに電話してお詫びに、早速お伺うべきところ、身体が不自由で行けない事伝え、様子を御聞きしたら検査いかんによっては手術もありうると言われ、どうぞそんな大典なな事にならないようにと願う。正隆が仕事行く前に病院によったら、お元気にしておられたとのこと、夜、仕事から帰ってからメロンを御見舞に持って病院へ行った。毎日御見舞に行くようにと、主人に言われて素直に聞いているようだ。
- 十二月二十二日(水)
千葉のお姉さんより送らせて頂いた御歳暮の御礼の電話頂いた。御兄ちゃんは水泳の練習にいってるとかで、いろんな所のフルマラソンに出たり、今度はとトライアスロンに出るべく練習しているとか、五十三才にもなってあまりの元気さに舌を巻く、あまり自分の身体過信しないでほどほどにしておいたらいいのに。
- 十二月二十三日(木)
今日は天皇誕生日で、祝日だがもちろん主人と正隆は仕事。今日ぐらいに事故の相手の方の御見舞に、正隆と一緒に行くつもりしていたが、又身体中が痛くぐったりして、とても行く元気がなくてやめた。正隆の話では二週間入院して検査してもらうらしい。
- 十二月二十四日(金)
世間はクリスマスだが、子供が大きくなった我が家では関係ない。ディサービスではサンタクローズも登場してケーキも頂くらしい。
- 十二月二十五日(土)
アナウンサーの逸見さんが、ガンの告知してから三ヶ月余りで逝去された。生き延びる為に大手術をうてたのに、こんなに早く逝くとは本人もどんなにか無念だったろう、私とはなんの関係もない人だが、ブラウン管を通していつも見ていた人なので、悲しい思いがする。
- 十二月二十六日(日)
字を書く度肩が痛くて昨日から、今日にかけては肩がうごかせない程痛かったが、うでの保護カバーをきつくしめてもらったら少しましになった。夜、ライオンズの忘年会に出席し主人が、計画委員長として段取りした会もなごやかに終わりよかった。
- 十二月二十七日(月)
正隆がバイクで当てた林さんに電話して様子を伺ったら、今日退院されたそうでたいした事もなかったらしく、林さんも良いお方らしく良かった。
- 十二月二十八日(火)
腕に装具をつけたまま寝るようにしたら痛みがましになった。
- 十二月二十九日(水)
今年最後の診察に来て下さったので、先生に一万円の商品券、看護婦さんには三四千円のお菓子お渡しした。午後、正勝兄さん夫婦がおみえになり、おばあさんに御歳暮五万円、お線香、秋田のうどん、お菓子を頂き、こちらは永楽屋の佃煮をお渡しした。
- 十二月三十日(木)
午前中希代子と寿代は、西友と生協に買い物、昼から冷蔵庫の掃除、正隆は車の掃除してくれた。字を書くとやはり肩が痛い、左リ手で書いてみよう。明日も子供達は忙しく何も出来なくて申し訳ない。
- 十二月三十一日(金)
今年最後の日、希代子も寿代も朝から夜迄よく働いてくれたので、無事にお正月が迎えられると思っていたら主人が胃が痛くて錦にいけなかったと帰って来た。よほど痛そうだ、飲み過ぎに違いないが言ったらおこるし、自覚してると思う。でもこれでこりるとは全然思えない。
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