旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
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  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成五年四月一日(木)
    夜七時頃、希代子が帰って来た。新入社員は二十七名程で東京支店と工場勤務が多いらしく、本社勤務は希代子だけで、総務部に配属され基本給は十七万だそうだ。研修道場では、朝四時半に起きて座禅があったり、食事の時や他の行動の時も皆無言でキビキビと動き、一汁一菓の食事も洗ったようにきれいに食べたりと、厳しい世界を垣間見られた事は良かったと思う

    小中高大 就職と スムーズに  来し娘 社会を学ぶ

  • 四月二日(金)
    昼頃、稔さん来られる。昨日は、幸子姉さん宅へ行って和子ちゃんのお祝いを渡されて、泊まられたそうだ。相変わらず仕事は忙しいそうで、夕方お寺さんと一緒に食事するそうだ。五月の連休もどこにもいかないと言われたが一人身では休みで家にいてもつまらないだろうし、楽しみって何だろうと思うといつも可哀想になる。

  • 四月三日(土)
     今日は、暖かくて良いお天気だったので、桜の花も三分と五分咲ぐらいになったようだ。おばあさんもヘルパーさんに上桂駅の桜見に連れて行ってもらった。 希代子は、三日間の会社の研修で疲れたらしい、一日ゆっくりしていた。

  • 四月四日(日)
    今日は、お父さんの五十才の誕生日だけど会合で出かけたので何にもしなかった。元気で長生きして下さい、只それを念ずるのみ、少々のわがままも短気も昔よりは大分ましになったし、多目に見よう。昨日、京と寿代は菊香荘でアルバイト、希代子は友人の結婚披露宴に出かけたがうすぎ下大丈夫かしら、昼頃より雨が降って少し冷えてきたし。

    夫今日で 五十路に入り 検査まち  諸々許し 長生き願う

  • 四月五日(月)  
    今日希代子は、明治製菓やユニチカの工場見学をして、夕方五時半頃帰って来た。寿代は、七時前に帰って来たので、希代子が早く帰っていてくれたて助かった。寿代は、毎日遅いので先が思いやられる。

  • 四月六日(火)
    今日から希代子は、二泊三日の研修があるそうだ。今度はお寺と違うので 座禅等はないらしい。

  • 四月七日(水)
     先日、和子ちゃんの結婚の招待状頂いたので、十八日に御祝いによせて頂くと幸子姉さんに言ったら、その日は荷送りの日だそうで三時頃来て下さいとのことだった。

  • 四月八日(木)
    主人は今日の一時頃から、武田病院で慢性膵炎の検査があり一泊することになっている。どうか大したことありませんように。夜、希代子が帰って来た。同期の人達と仲良くなって楽しかったらしい。

  • 四月九日(金)
    主人が夕方、仕事場から電話をかけてくれて、検査の結果きれいな慢性膵炎だから、油っこいものとアルコールを控えるように言われたそうだ。きれいなという意味がよくわからないが多分、そう悪くはないということだろうと安堵した。三好様より忌明けの案内が来て、十八日の日曜日で和子ちゃんの御祝い行く日と重なるので、御祝いの日を変更してもらった。

  • 四月十日(土)
    希代子は昨夜、研修の後、同期の人達と送別会をした後、友達の泊まっているホテルに泊まらせてもらい、午前中、鈴虫寺や嵐山へ行って 一時半頃帰って来た。

  • 四月十一日(日)
    昼から主人と寿代と私の三人で、ライオンズでお知り合いの藤原さんのお店へ行って振袖を見せてもらった。私は総絞りがほしいと言っていたので、色々見せてもらったが、こんなのもいいですよと、紅型のを見せてもらい着て見たら柄がとてもかわいく、色も落ち着いた緑、寿代によく似合っていたし、私の訪問着用のオレンジ色の帯に、ぴったりあっていたので散々迷った末にそれに決めた。寿代もとても気に入ったらしく、早く着る日を楽しみにしている、値段も思っていたよりずっと安く得した気分。

  • 四月十二日(月)
    今日は、皇太子殿下と雅子さんの納采の日で、朝九時に行われた。薄い黄色の上品な振袖姿があでやかだった。戦後生まれの私は、戦争中や戦後の苦しい時代は経験せずにすみ、現天皇、皇后両陛下の御成婚の時な十才で、昭和から平成になる時もしかと見られ、皇太子様の御成婚も見られ、世界の歴史の移り変わりも見ることが出来、良い時代に生きさせてもらって良かったなあとつくづく思う。

  • 四月十三日(火)
     午後、原田さんより電話、と子時島さんや、稲さん、原田さん達から電話頂き、嬉しい、なかなか会う機会がないのが残念。

  • 四月十四日(水)
    今朝、梶田の叔母様より電話があり君子叔母様が脳腫瘍で入院し、手術を受けることになったとお聞きしびっくりした。主人が、早速様子を見に行ってくれたが、意識がもうろうとしていたと電話をくれた。午後、弓子ちゃんより電話があり手術も無事終わり、危険な状態は脱したとの事だった。頭のこと故後遺症が残らねばよいが。

  • 四月十五日(木)
    昨夜は、森下町の自治会があり、主人が行ってくれて色々資料を持って帰ったのを見ると、結構用事が多そうで大変だ。町費の集金等、遠方迄取に行かないと駄目らしく困ったものだ。夕方、弓子ちゃんに電話したら君子叔母さんまだ集中治療室で管に囲まれ、手術の後が痛い痛いと言っているけど、応対はしっかりしているから、手術後の経過は良いと思うと言っておられたので一安心。まだ当分御見舞は控えた方がよさそうだ。

  • 四月十六日(金)
    やっと暖かくなって来た。おばあさん今日は微熱があり、ディサービスでお風呂は、入れなかったらしい。元気で食欲もあり心配はなさそうだ。

  • 四月十七日(土)
    おばあさん熱もなくよかった。正隆は、今日は休みなので二百五十CCのバイクを契約して来た。給料から毎月十万程預金していた分より四十五万解約して、五十四万程のを買ったようだ。買うのはいいが友達とツーリング等して事故おこさないようにと、願うばかり。私はいつも主人が病気や事故に合ったらどうしょう、子供達に何かあったら等、もしもの事を考えると恐ろしくなる。毎日無事に過ごせたら本当に有難い、何の不平不満も無い。

  • 四月十八日(日)
    今日は、三好さんの母上の四十九日忌明で主人がお参りさせて頂いた。夕方、帰って来て、わらびの里で御馳走にになったそうだ。

  • 四月十九日(月)
     良いお天気でとてもァたた楽なって来たが、風邪を引いたのか、くしゃみと鼻水が出て、喉がいがらっぽい、花粉症にも似ているが外出もしてないし、今時分にかかるのもおかしなものだ。

  • 四月二十日(火)
    朝十時、皇太子様御成婚の日取りを、雅子さんに告げる告期の儀があった。午後、園子姉さん来られておばあさん散歩に連れて行ってもらった。柏餅とよもぎ餅頂いた。御土産に丹波屋の漬物八千円分買ってお渡しした。連休に又、帰られるそうだ。

  • 四月二十一日(水)
     幸子姉さん二週間振りに来られて苺を持って来て下さった。菊御飯をよばれて昼から、おばあさん隣へシャンプーカットに連れて行ってもらいさっぱりしてこられた。実の娘にわがままが出るのか、腕を引っ張られて痛いと随分おかんむりだったらしい。

  • 四月二十二日(木)
     寿代は今日はクラブなしで早めに帰って来た。久し振りの雨だったが夕方にはやんだ。希代子は同期の人が明日は東京支店に行くので送別会とかで夜中二時頃帰って来た。同期の人に心ときめかされた人がいるらしいが、北海道の人で東京勤務なので今のうちにあきらめると云うか交際を続けて欲しくない。

  • 四月二十三日(金)
     今日は私がリハビリセンターに行く日なので、ヘルパーさんをお願いしていたら村松さんが来て下さって、タクシーで連れて行ってもらった。診察の時血沈とリゥューマチ反応の結果をお聞きしたら37と+1だったらしく退院時の15とーから比べると悪くなっているが入院前の昨年の五月は85と+4だったらしいから、その頃と比べたら大分良くなっている。主人は水のおかげだとしんじているので、私も半分水で半分はプレドリンだとは言いにくいが、本当のところはそう思っている。今日はタクシーで行って往復2900円程いったので、今度はリフトバスで行ってみよう。

  • 四月二十四日(土)
    先日、短歌の本送って来てくれた時は、ちゃんと見てなかったので、気づかなかったがゆっくり見てたら、私の名が載っていたのでびっくりした。 附則例で出していたのが、活字になって載せてもらうということは、嬉しい

  • 四月二十五日(日)
    主人は、最近ライオンズの会合が多く、今日は網野町へ出かけた。ライオンズの会員さんは、流石お金持ちが多いらしくたいていの方が、外車に乗っていてスーツ等も、十万〜二十万ぐらいのを着ているらしい。背伸びして真似したくないとは言ってるが、やはり引け目を、感じててるのではないかと思うと気の毒になる。お付き合いも大変だ。

  • 四月二十六日(月)
     昨日、京と又寒さがぶり返したようなお天気だった。熱かったり寒かったり不順な気候が続くので風邪を引いてしまい、鼻が詰まってうっとうしい。今日は、おばあさんは、気が立っているというか、いつものように居眠りもせず絶えず、堀川に帰る誰かが待っている、することがある等追いたてられているような錯覚を起こしているのか、いつになく訳のわからないことを次々言ったり、立って歩こうとするのでヒヤヒヤした。福枝叔母さんから、電話頂いたのでおばあさんに代わったが、相変わらず堀川に帰る話や、することがあって忙しい等と通じない話をするので、叔母さんも笑っておられた。

    老いし姑 幼児に還り 確執も いつしか消えて 水ぬるむ春

  • 四月二十七日(火)
    昨日より、小堀さんに今年入社した、大卒の人が木工がしたいと言うことでうちに、来ることになった。大卒で何故?とか、正隆がひけめを感じないかと思っていたが、履歴書を見て安心した。南京都高出身だった、真面目でおとなしい人らしいが、続いてくれるといいなあと願っている。

  • 四月二十八日(水)
    夕方、弓子ちゃんより電話があり、君子叔母さんの具合が急に悪くなり、手術することになったそうだ。難しい所らしいので無事に終わるといいが、弓子ちゃんや夕子ちゃんも大変だけど、私は何も手伝えないので申し訳ないと思う。

  • 四月二十九日(木)
    もうすぐ五月だと云うのに、暖かくなったと思ったら寒くなったりするので、主人もおばあさんも風邪をひいてしまい、鼻具グスグスしている。熱はないからたいしたことはないと思うが、すっきりしないとしんどいと思う。私、やっと風邪が治ったみたい。

  • 四月三十日(金)
     夕方五時頃、正勝兄さんと園子姉さんが来て下さった。希代子と寿代は、夜遅くなるので、魚仁で満月をとって召し上がって頂いた。おばあさんをトイレ連れて行ってもらい、ベッドに寝させてくださってから、帰られたので助かった。

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  • 五月一日(土)
     寿代は、菊香荘にバイトに行き、希代子は仕事で、帰りに城之崎へ書道の合宿に行くので、ヘルパーさんを待っていたが予定時間より一時間程遅いので心配していたが、地域の古紙回収や集まりがあって、遅くなったらしい来てもらって助かった。

  • 五月二日(日)
     五月というのに、一日雨が降り寒かった。希代子は、昨日仕事の帰りに城之崎に習字の合宿、寿代は、菊香荘にバイト、正隆は大きなバイクでが来たが、雨降りなので家にいた。主人は、十一時頃から仕事に行った。

  • 五月三日(月)
    午前中、主人は吉津様宅へ、和子ちゃんの結婚御祝を届けに行き、ご馳走になって色々お土産を頂いて、一時半頃帰って来た。それから大丸へ主人の夏服のイージーオーダーに行ってから、君子叔母さんの御見舞に行って来た。美智子叔母さんがおられて、君子叔母さんはトイレに行っておられた。腸の具合が悪いらしく一時間程トイレに座っているらしいが、思ったよりお元気そうでよく話をされていた。夕子ちゃんが来られてしばらくして、帰って来た。

  • 五月四日(火)
    希代子は、友達と亀岡へ行き、寿代は菊香荘、主人は仕事、正隆はバイクで出たり入ったりしていたので、私とおばあさんは家でテレビは等見ていた。連休に、山に登って遭難した人がたくさんあり捜索隊の人達に、迷惑をかけるので呉々も山に登る時は注意して、万全の準備をいなければいけないと思う。夜、ニュースでカンボジアで文民警察員が何者かにおそわれ、一人死亡、二人重症だそうだ。PKOがどうなるか、犠牲者の方の御家族や現地で貢献している方の事を考えると、いたたまれない気がする。

    カンボジアで 殉職されし 中田さん  親子の行き方 希世に尊し

  • 五月七日(金)
     今日は、ディサービスの日なので、寿代も早く起きて着替えをさし、食事の仕度もしてくれたが、トイレにいきたいと言い出し、寿代は今日は一時間目の授業に出る為、早く家を出なきゃならないので、トイレに連れて行ってる時間がなく、そのまま行ってしまった。ディサービスの人が迎えに来て下さるまで、トイレに行かないで欲しいと思ったが、どうしてもトイレに行くと言うので、ついて行ってオム手を外したら、案の定、便がお尻にべったりついていて、トイレに座ってもらったものの、後の始末が出来ないので困り果て、又、令子ちゃんにSOSをたのんだらすぐ来てくれて、お尻をお湯で拭いてもらい便のついた服も、上から下まで全部着替えてもらい、トイレもきれいに掃除してもらって、汚れ物を洗濯して干してもらい本当に助かった。令子ちゃんがいなかったら私もろとも便だらけになって、大変なことになっていただろうと思う。2時頃、入院先から君子叔母さんから電話があり、火曜日に再手術をされるそうだ。電話かけに来られるぐらいにお元気なので良かったが今度で3度目の手術だし、大変だと思う。

  • 五月八日(土)
     昼から希代子と寿代は、待ち合わせてショッピングをして母の日のプレゼントだと言ってイタリア製のジャケット風の服を買って来てくれたが、自分達が着るつもりで選んで来たので私には袖が長過ぎて着る時もあまりなさそうだけど、一応私にと買って来てくれたので感謝してます。

  • 五月九日(日)

     天気予報では雨だったのに今朝はいいお天気で、主人は学区のソフトボール大会に出かけ夕方四時頃、酔ってフラフラになって帰って来た。寿代はめずらしく一日家にいたので冬と夏物の入れ替えや洗濯・掃除等、大忙しだった。希代子は夕方ブラスバンドの会があり、昨日買った服を早速来て出かけた。

  • 五月十日(月)
     君子叔母さんより電話頂いてタオルケットを貸してと云われたが、届ける間がないので困ったな。菊香荘迄行く間がない、希代子も寿代も帰って来たら家の用事がまっているので、土、日しか無理だと思う。明日手術だそうだ、無事終わります様に。

  • 五月十一日(火)
    今日は。曇りで少し肌寒かった。正隆の簡易保険が、二十年たち満期となり百七十二万程あり百七十万を、私名義の非課税で預金した。忘れていたお金が入りありがたいことだ。
     
  • 五月十二日(水)
    最近、リュウマチが少し悪くなって来たと云うか、悪い状態に戻って来たのか、午前中、ちょこちょこ 具合が悪く、痛くて動くのがいやになる日がふえて来たみたい。午後の二時か三時頃になると痛みはましになるが、又、少しづつ悪くなるのではないかと不安になる。主人の頂いて来た、お水のお蔭で、現状維持をたもてていると思い、主人も良くなったと喜んでくれているので、あまり悪くなって来たとも言えない。君子叔母さんの手術は、無事済み、経過は良さそうだ。

  • 五月十三日(木)
     今日は真夏のような熱さだった。家の中にいてもじんわり熱かった。高島屋のカタログで注文したラタンチェストが届いたので開けてみたら、館ちケガ悪く、引出が開けにくいので返品することに、物にもよるが家具等はやはり見て触ってから買わなければいけバイト思った。

  • 五月十四日(金)
     昨日と一転して今日は、雨降りで肌寒かった。最近、晩御飯のメニューがあまり思い浮かばず、料理の本を見ても、もう一つ食べたいと思うものがなくて困る。

  • 五月十五日(土)
     今日は、いいお天気になったが、朝のうちは、冬のように寒かった。葵祭は、良いお天気で良かった。夕方希代子に、君子叔母さんに頼まれていた、タオルケットを届けてもらった。おとといも手術したとか、でも元気にしておられたらしい。付き添いさんがついてらしたが暇そうだったみたい。

  • 五月十六日(日)
     日曜日でも主人は、最近ずっと仕事に行っている。希代子は、琵琶湖、寿代は、宮野さんと鈴虫寺、正隆は大きなバイクでどこか江でかけた。良いお天気で、新緑が美しそうだし、せめて家の中で日なた、ぼっこが出来たらいいのになあ。

  • 五月十七日(月)
     昼二時頃、幸子姉さんが来て下さり、病院へ支払いに行って下さった。笹屋さんが、よもぎ大福を売りにきたので、お姉さんとこの分も買って持って帰って頂いた。やわらかくて、おいしかった。

  • 五月十八日(火)
     朝方、正隆がトイレでゲーゲーあげていたので、今日は仕事に行けるかどうかわからないと、朝主人が出かける時に言っておいたが、昼には、ちゃんと自分から電話するように言ったらやはり、頭も痛いししんどいから休むと言って、何も食べず一日寝ていた。夜には八,六度も熱があり風邪らしい。

  • 五月十九日(水)
    今日もまた正隆は、しんどいらしく仕事を休んで寝ていたが、夕方には、大分楽になったらしく少し食欲も出て来た。昔、家で働いておられた、中山朔夫さんが亡くなられたそうで、主人はお通夜に出かけた。

  • 五月二十日(木)
     今朝は、正隆元気になって八時迄に仕事場に出かけた。主人は午前中、中山さんのお葬式に行き、いったん家に帰り軽く昼食をとって、阪急で和子ちゃんの結婚式に出かけた。夜八時半頃、帰って来て祝辞がうまく言えて幸子姉さんが、喜んでおられたらとか、とても良い結婚式だったらしく御機嫌でしゃべっていた。幸子姉さんに、御礼の電話をしたら、主人の挨拶がとても良かったと言って下さった。

  • 五月二十一日(金)
     今日始めて、ソフトバスに乗ってリハビリセンターに行った。朝八時半頃、予約して十時三十九分のバスを待っていたら、昇降台が平らになって歩道に、ピッタリ降りて来て乗るとグーッと上に上がり、車椅子用にあけてある場所に固定して、降りる時もバックになって降り、十一時五分にリハビリセンターについた。ヘルパーさんの村松さんも、初めての経験で少し大変だったみたいけど、私は何年ぶりかでバスに乗り、タクシーで乗り降りするよりずっと楽だった。帰りは二時台しかリフトバスが来ないので、MKタクシーで帰った。

    リフトバス 初めて乗りし 八年ぶり ゆれやチャイムの なつかしくあり

    リフトバス 乗りて久しく 忘れいし 揺れや案内の 懐しくあり

  • 五月二十二日(土)
     先日、短歌の附則が送られて来たのを見たら、全部Bだった。自分でも出来が悪いと思っていたが予想通りだ。次回作を早く送らねばと思うが、自分で納得出来るものがなかなか作れない。

  • 五月二十三日(日)
     主人は朝六時半頃、仕事に出かけその後、ライオンズの六甲行きがあり、日曜日ゆっくり休む日がなく、たまにはゆっくり身体を休めて欲しい。

  • 五月二十四日(月)
     最近目がかすむので、読書しなくなった。クロス刺繍も目が疲れるし、肩も痛くなるのでしていない。新聞見てテレビ見て、洗濯物たたむぐらいで時間の無駄使いをしている、もったいないから何か出来ることをしょうと思うが、目や肩が痛くなって長続きしない、短歌ももう一つだし、頭、バカになったんじゃないかと心配。

  • 五月二十五日(火)
     今日は、良いお天気で外は汗ばむくらいの陽気だった。今が一番言い気候で、こういう日が長く続くといいが、一番いい季節は、ほんのちょっとの間だけなのが残念。

  • 五月二十六日(水)
     今朝主人は、五時半に仕事に出かけた。暖かいから朝つらいと云うことはないけど、もう少しゆっくり休んだらいいのにとおもうが、ライオンズで出る機会も多く、少しでも仕事がはかどるように頑張っているのだと思う

  • 五月二十七日(木)
     最近というか、以前からいつも稔さんの結婚のことが、気になっていたが、今日テレビで四十代・五十代の人が若い奥さんもらって、うまくいっているカップルが二十五組でていたのを見て、あきらめるのはまだ早い、その気になればまだまだ結婚の可能性はあるのではないかと思う。 幸子姉さんにちらっと言ったらもうその気はないやろし、このままでいいと思うと言われたが、どう考えてもこのまま一人身で年取っていくのは寂し過ぎると思う、仕事とか趣味に生き甲斐を感じていたら、結婚しなくとも人生をエンジョイ出来ると思うが、今のところではそれもなさそうだし、子供は出来なくてもせめて伴侶と一緒にすごせたらと切に思う。中高年の集団見合いとか、時々見聞きするのでそういう所の会員になるとかして、色々な人と付き合えたらと思うが、どこに問い合わせたらいいのか、いらんおせっかいだと怒られるかしら、おばあさんはもうそんな事もよく分かってないが、おばあさんが元気なうちに結婚出来たらいいのに。

  • 五月二十八日(金)
     君子叔母様より、今退院して帰って来ましたとお電話頂いた、元気そうなお声で思ったより早く退院出来て本当に良かった。その電話の後十五分して又、お電話頂いたので先程、お電話頂いた旨言ったら()エッ、さっき電話したか?』と言われた、やはり頭の手術の後遺症か少し忘れっぽくなられたようだ。

  • 五月二十九日(土)
     希代子は、昨日会社が終わってから、新幹線で東京に行き、東京支店の友達とディズニーランドへ行ってるので、お天気心配してたがどうやら東京も良さそうだ。

  • 五月三十日(日)
     朝方土砂降りの雨だったが九時頃にはやんだが、時々パラパラしていたので涼しかった。夜、希代子帰宅。今日は横浜へ行ったどうだ。

  • 五月三十一日(月)
    昨年の今日は、転んで骨を骨折した日だ、一年たったが骨がちゃんとくっいてないので、針金でつながってるだけというのがわかるくらいグラグラしているし、力は入りにくいし、不安定な感じがする、でも身体全体の張氏は昨年から比べると楽になってるのは有難い。

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  • 六月一日(火) 
    今日から六月、すこし蒸し暑かった。 生理が終わってから、一週間程しかたってないのに少し出血がありチビリチビリという感じで、昨日、今日とあり気になる。以前看護婦さんに聞いたら、子宮筋腫かも知れないから見てもらうようにと、言われたがなかなか病院へ行ける日がないのと、あの台に上がることを思うとゾッとする。どうか何でもありませんように。

  • 六月二日(水)
     今日は風が強く、昼から雨が降ってきた。 幸子姉さんから果物頂いた。幸子姉さんが帰られてから、おばあさんは又、妄想で誰かが来るから京都駅迄、迎えに行くと言って、そんな時は自分の力で立って玄関迄歩いて行き、玄関に降りようとするので必死でとめてやっととさっとこ、居間の椅子迄戻っもらいほっとした。こんな事が時々あって転ばれたら又、骨折して入院になるから歩き回られるとヒャとなる。

  • 六月三日(木)
     藤原さんより電話があり、寿代の着物の仕立てが出来たので、お届けしますとの事でそれから一時間程して来て下さったので、テーブルの上はちらかってるし、髪の毛ボサボサで慌ててしまった。一流の仕立て職人さんにしてもらったから、しっかりした仕立てになってますと仰言っていた。着物が三万九千円、襦袢が一万五千円だったので、希代子の時いくらだったか忘れたがまあ妥当な所だろう。寿代が帰って来てとても喜んでいた。希代子も想像していたより色合いがきれいだし、とっちゃんにピッタリだと羨しがられていた。成人式が待遠しい。

  • 六月四日(金)
     今週は、一日置きに身体がしんどくて、午後三時頃にならないと楽にならない。四、五日お水を飲んでいないからかな。

  • 六月五日(土)
     寿代は、大学の創立記念日で枚方まで、制服着て出かけた。希代子は、昼から四時半まで高校時代のブラバンの集まりに行き、帰ってから大急ぎでちらし寿司作って、今度は友達の家に出かけた。

  • 六月六日(土)
     明日から寿代は、十九日迄幼稚園で教育実習があるので、おばあさんのお世話が出来ないので、今日から二十日迄、厚生園のショートステイで預かって頂くことになり、朝十時頃希代子と寿代が連れて行った。パジャマやオムツ等持って行ったが、あちらでスエットを貸して下さるそうで、結局肌着しかいらなかったそうだ。希代子達が帰る時も別に一緒に帰るとも言わず、わけがわからないような感じだったらしい、いつも行ってる厚生園だから慣れてくれるといいが、ちょっと可哀想で申し訳ない。

  • 六月七日(月)
     今日はおばあさんがいないにでヘルパーさんに生協迄、買い物に連れて行ってもらった。良いお天気で久し振りの外出で気持ち良かった。

  • 六月八日(火)
     気になっていた歯科に、車椅子で連れて行ってもらった。残っている根はそのままにして入れ歯を二本入れるとかで型を為、大きな口をあけねばならず少し苦しかった。次回は二十五日だそう。帰りにヘルパーさんが、厚生園迄連れて行ってあげるといわれたのでお願いしたが、大分上の方で坂がきつく気の毒だった。丁度お昼ごはんが終わる頃で、私達に気づくとニコニコして、なんだかわからないままに機嫌良くしてくれていたので安心した。

  • 六月九日(水)
     待ちに待った皇太子様御成婚の日がやってきた。あいにくの雨降りだったがパレードの始まる直前に雨がやみ、オープンカーでのパレードでとても良く写っていた、主人も、正隆、希代子は仕事なので、寿代と二人で朝からテレビにかじりついていた。朝、雅子さんが自宅から出発される時、お式の時、私まで万感胸に迫る思いで感無量だった。きっと素晴らしい御夫婦となり、妃殿下となられると思う。

    雲上の 人となりゆく 雅子様  見送る家族の 笑みの裏側

    雲上の 人となる朝 雅子さま   御親との別れ 胸打つ思い

    雨上がり オープンカーの 御夫妻の 笑顔に安堵 道のり思い

    脱親も 政治改革も 今日は忘れ 御成婚の報に 針付け

  • 六月十日(木)
     一昨日、おばあさん宛に、久子叔母さんより手紙が届いたので中を開けて見ると、一行寺の敏子おばさんより姉さんに渡して下さいと頼まれたが、身体の具合がすぐれないので送らせてもらったと云う事で、敏子叔母さんより、おばあさん宛に手紙と西本願寺等を写した写真が入っていた。手紙は文章がつながっていず、時々おかしいな文があつて敏子叔母さんも、ぼけてきたのかなと思い乍、久子叔母さんと敏子叔母さんに御礼の電話をしたら、久ぶりなので懐かしかった。どちらもしっかりした応答だったので敏子叔母さんのあの手紙はなんだったのかと思うが、やはり文章を書く能力が衰えて来たのかも知れない。

  • 六月十一日(金)
     今日の診察は瀬名波先生の日だったので、久し振りにいろんな人と逢えた。まず高橋さん、原田さん、上田さん、香川さん、中塚さん、大森さん」、汐見さん、浜野さん、森さん、中田さん、北山さん、これだけの人に半年ぶりかで逢えてうれしいかった。最近、調子が悪いので、ステロイドを増やしてもらえないか尋ねたら、ステロイドは勝手に増やしたり減らしたりしたらよくないので、痛み止めのポルタレンを出しておきますとの事だった。

  • 六月十二日(土)
     希代子は鳥羽に社員旅行、寿代は第二土曜日で幼稚園休みなのでお休み。昼から、十八日のライオンズの会に着ていく服を買いに西友に連れて行ってもらったが気に入ったブラウスがなく、ズボンだけ買った。今朝も、具合が悪かったのでボルタレン飲んだせいか、居眠りばかりしていた。寿代は、風邪をひいたのか頭が痛いと言って、食欲もなく熱も八、五度程あるらしい。夜、令子ちゃんより電話があり、訓三さんがボーリングしていて転んで、大腿骨をおったらしい、大分前から坐骨神経痛で心配していたのに、本人はちょっと調子がいいとすぐ無理をして、ボーリリングもやめてと言ったのに会社の行事で行ったらしい。ちっとも云う事を聞いてくれないとぼやいていたが、男は大体そうなのか、うちの主人もちっともお酒を控えてくれない、後悔先に立たずで、痛い目に会わないとやめられないようでは本当に困る。大阪で骨折したので大阪の病院に入っているので、京都の病院へ転院出来るようたのんでいるらしいが、四ヵ月程は入院で、治った後も杖をつかなくてはいけないようになるかも知れないようで本当に大変だ。只でさえ、人口透析の身で心配なのに、令子ちゃんかわいそう。私は何にもして上げられないからでめて経済的なことで困ったら私の年金から出して上げるからきがねしないで言ってと言ったら喜んでいた。やっぱり、訓三さんの体も心配だけど、お金のことも心配していたみたい。

  • 六月十三日(日)
     生理、寿代は、夜中九時頃、熱があってなかなか下がらず、朝の五時頃迄寝られなかったらしい。それから汗が出てやっと平熱に戻ったけど、頭痛がなかなか治まらないらしい。私は今朝生理になった。二週間程前からうすい出血がチビリチビリとあったので病院で診てもらわなきゃと思い乍ら、なかなか連れて言ってもらう日がなくて、ぐずぐずしてたら本格的な出血になったので、生理なのか不正出血なのかよくわからない、いずれにしても早めに病院行かないと、子宮筋腫だったら手術して二週間入院するらしい、まさか子宮がんではとも思う。でも早期だったら死ぬことはないだろうけど、どっちにしても下の病気にだけはなりたくない。

  • 六月十四日(月)
     雨降りで、蒸し暑くなって来た。ついこの前迄は、雨が降っても空気がさらっとしていて涼しかったのに、本格的な梅雨の蒸し暑さだ。昨年の今頃は、入院していて毎日微熱があってしんどくて食欲がなかったが、この蒸し暑さはあまりなかつたので、忘れていた。

  • 六月十五日(火)
    今日は、長覚寺様十時半頃来て下さり、ヘルパーさんの用事も早く済み、雨も上がっていたので悪いなあと思い乍厚生園迄、連れて行ってもらった。昼食の最中でおばあさん黙々ときれいに食べておられた。別に変わりなく元気にしておられたので安心した。食堂は、高台にあるので涼しい風が入り気持ち良かったが、高橋さんにはしんどい思いさせて申し訳なかった。主人に言ったら、タクシーで行ったら良かったのにといわれ、ついつい甘えてしまっていた事反省した。

  • 六月十六日(水)
     今日は朝のうちは少し涼しかったが、やはり蒸し暑くなって来た。汗をかくとトイレに行ってズボンや下着の上げ下げがへばりついてしにくく、字を書くのも汗でヌルヌルして書きにくい。寒いよりは暑い方がいいと思っていたがこういうところは不便だ。正隆の二十一才のバースデーだったが、御馳走もプレゼントもなくちょっと可哀想に思ったが、本人は全然気にもとめていないみたい。

  • 六月十七日(木)今日は生協に連れて行ってもらったが、お天気が良くて暑かった。夕方、イマージュさんにカットへ行って来た。明日はライオンズの会に出席するからちょっとはきれいにしていかないと。
     
  • 六月十八日(金)
     ライオンズの会が、六時からセンチュリーホテルであるので五時半には、タクシーで出かけようと思い早めに仕度して、いざタクシーを呼ぼうと思ったらずうっと話中なので、MKに電話したら二十分程待っても来ないので、仕方なくと寿代に車で送ってもらったが今度は、右折出来づぐるっと回ってやっと着いた時は、六時半回っていて会はとうに始まっていて、主人は大分心配していたらしい、年度変わりで新旧の役員さんの紹介があり、主人は、計画委員長になってなかなか忙しそうだった。食事はフランス料理でおいしかった。帰りは木下さんという方の外車で送って頂いた。いつもこの方に送って頂いているらしい。

  • 六月十九日(土)
     今日は土砂降りの雨が一日降っていた。希代子は久し振りの休日げ昼過ぎ迄寝ていた。寿代寺半頃、自転車でびしょむれになって帰って来た。今日でやっと教育実習が終わり、疲れを取る為、三時頃から七時迄昼寝をし四腰寝不足が解除出来たれしい。正隆は一日顔を見ないと思ったら、明け方に友達の車で泊りがけで遊びに行ったらしい。壱岐咲も何も言わずシエアないうちに黙って出て行って困ったもんだ。

  • 六月二十日(日)
     三時頃、希代子と寿代が、おばあさんを迎えに行き元気で帰ってきたので一安心。娘達はまた少し忙しくなるかも知れないが又、いつもの生活が戻っただけのこと。心配していた正隆は、夜中の0時過ぎにやっと無事に帰って来てほっとした。お友達と四人程と信州へ行っていたらしい、バースデープレゼントに花束もらったらしい。やきもき心配してたのがアホらしいくらい何事もなくケロッとして帰って来てよかった、よかった。

  • 六月二十一日(月)
     今日は方が痛く手がこわばっていた、足も水虫がかゆくなって来た。毎日足をお湯につけて洗ってもらっているのに何でかゆくなって来たのかわからない、金、土、日と洗って、薬つけてもらったら治って来た。

  • 六月二十二日(日)
     今日は夏至で昼の長さが一番長い日だ、どうりで最近、七時をすんでも飽かれ否とおもっていた。明日から又少しづつ日暮れが早くなるかと思うと淋しくなる。でも夏はまだこれから、夏は大好きだけどやはり蒸し暑さには閉口する。今日はお天気も良く湿気もあまりなく気持ち良かった。

  • 六月二十三日(水)
     昨晩、おばあさんがベッドから降りて歩こうとしたのか、突然ふすまごと倒れて来てびっくりした。幸いどこもケガした様子はなくホッとしたが、ふすま二枚もはずれるなんてどういう風にもたれたのか、全然気がつかなかった。十一時頃、往診の先生と看護婦さんが来て下さり、今日は心電図も診て下さったが別に変わりはなく安心したが、昼頃幸子姉さんが来て下さって、食事済んでからトイレに連れて行ことしたら足が痛いと言って歩きにくく、やはり倒れたせいか気になる。気になると云えば、正隆も晩の食事すんでから黙って外に出ていったきり、なかなか戻らず夜中の二時半頃戻ってきた。今朝、起きないかも知れないと思っていたらこちらが起こす前に起きて来たのでやれやれと思い、昨夜、どこえ行ってたのか聞いても何も答えてくれないし、いつも仕事帰りにどこかへ寄って来て遅くなったりで一体どこで何をしているのかついて歩きたいような気がする。どこでも男の子はこんなものかも知れないが、一緒に暮らしてる間は、私の知りたい願望は消えないと思う。願望はあってもうるさくきいてはいけないと思いなるべく無関心を装っているのに----。

    物言わぬ 息子の行動 不可解なり 発信装置つけて 知りたし
    知らぬ間に 出かけし息子心配して 損する程に チロッと帰

  • 六月二十四日(木)
     今日は、おばあさんは朝から元気なく、食欲もなくベッドで寝ていた。正隆も昨日、仕事場で八度程熱が出たらしく、今朝もまだ七度少し熱があってしんどいとかで仕事を休んで寝ていた。正隆は、身体が弱くて時々熱を出したり頭痛がしたりで、仕事を休むことが時々あるので将来が心配。

  • 六月二十五日(金)
     今日は、正隆は熱が下がったがまだ、頭や喉が痛いと言い乍ら仕事にいった。おばあさんは今朝も食欲がなくお医者さんに診て頂いたが、骨は大丈夫で打ち身の為に痛みが出てるのだと思うから、痛み止めの座薬を入れて二、三日安静にしていたらそのうち治るでしょうと云うことで安心した。座薬が効いたのか昼食はきれいに食べられて安心したが、しばらくはおむつ替えが大変かもしれない。

  • 六月二十六日(土)
    昨日の座薬が効いたのか、打ち身の痛みが治まって来たのか、今日はおばあさん痛いと言わなくなって食欲もあり一安心。

  • 六月二十七日(日)
     今日は、主人はめずらしく一日家にいた。昼前公園で、消防訓練があったのでそれに行っただけで、後はテレビと昼寝、たまにはこういう日もないと身がもたない。

  • 六月二十八日(月)
     梅雨だから当たり前だがよく雨が降り、洗濯物がかわかず、布団も干せなくて困る、どこの家でもそうだろうが。

  • 六月二十九日(火)
     寿代から、灰谷健次郎の『兎の眼』を借りて読んだ。学校の先生と生徒の心温まる小説で、しきりに津田先生のことを思い出していた。寿代はこの手の本は、よく読んで子供に対する気持ち等、よく考えているのできっと良い幼稚園の先生にもお母さんにもなると思う

  • 六月三十日(水)
     最近おばあさんは、前程の食欲がなく特に朝食の時は、ぼんやりして少ししかたべない。幸子姉さんが来て下さって、昼食も食べさせてもらってなんとか食べたという感じだが、晩御飯は自分でしっかり食べたしムラがあるみたい、でも以前のようにお箸を持って待ってましたとばかりに、一生懸命食べていた元気はなくなったみたい。
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