旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
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  平成十八年 1月〜9月
  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成七年四月一日(土) 晴れ時々曇り
     寿代は今日から正職員として、幼稚園にお勤めすることになった。希代子は会社の同期会が東京であるので一泊で出かけた。

  • 四月二日(日)曇り
     主人に病院へ連れて行ってもらったが、おばあさんよく眠っていて眼を醒ましそうにないので、西友へ行き昼食を済ませ、主人や私の下着(やっと私にはけそうなゆるめのゴムのショーツがあった)を買い、主人の春用の帽子を買って再び病院へ行ったが、まだ寝ていていくら呼んでも起きそうにないので帰った。ひょっとしてこん睡状態ではないかと心配になったが、病院から何の連絡もなかったと云う事は、大丈夫と云う事だろう。勝手な話だが、七日に洋子と嵯峨野に行って帰って来る迄は、どうか何事もありませんように。七日・八日とどうか雨が降りませんように。

  • 四月三日(月)曇り
     今日はヘルパー協議会があるとの事でヘルパーさんは、午後から来て下さった。正隆が歯医者さんに親知らずを抜いてもらったそうだ。なで必要のない歯が年頃になって、生えてくるのか不思議。

  • 四月四日(火)晴れ
     主人の五十二才の誕生日。今夜はライオンズの方が円山公園辺りにオープンしたお店(東観荘)で食事とか。良いお天気で御布団干して頂いた。おばあさん今日は、ずっと目を開けていて食事もまあまあ食べられて良かった。

  • 四月五日(水)晴れ
     生協のヘルパーさん午後から来て下さり、洗濯や買物と食事の下ごしらえして頂いたので、希代子も寿代も遅くなっても主人と正隆と私の分を、正隆にしてもらって助かった。夜、洋子に電話したら七日の三時二十分頃、京都着の列車にあさみちゃんと乗って来るそうだ。京都駅で茜ちゃんと待ち合わせしてるので、少しこちらに来るのが遅くなるとの事。

  • 四月六日(木)曇り
     夕方からお天気が崩れて来たが、七日八日はどうか良いお天気になります様に。

  • 四月七日(金)晴れ
     良いお天気になった。洋子は4時半頃家に来てくれたので、着替えさせてもらい、五時半頃、コミュ二ティ嵯峨野に着き、部屋に行くと車椅子で動き易いようにドアもトイレも、お風呂もなっていた。夕食迄少し時間があったので、バラの喫茶店へ行ったが、時期がまだ早く一本も咲いてなくて残念。JR嵯峨嵐山駅でギャラリーを見て、電車が来たので見ていたら主人が降りて来て、三人で食事をした。値段の割にはまあまあの食事でおいしかった。洋子と主人の誕生日が同じ、四月四日で血液もO型と言うことがわかり、話が盛り上がって楽しかった。部屋に戻ってしばらくおしゃべりした後、シャワー浴させてもらい十一時半頃休んだ。

  • 四月八日(土)快晴
     夕べは寝床が変わったせいか、膝が痛かったからかよく眠れなかったが六時頃目が覚めた。八時頃朝食を食べ9時半過ぎにチェックアウトしてすぐ近くの、蘭の展示館に行った。色とりどりの美しい蘭が、咲き乱れてうっとりした。それから天竜寺へ行き、常寂光寺、二尊院、落柿舎、野宮神社等、散策して、少し道に迷って遠周りして大覚寺へ行ったがどこも車椅子で中に迄入れず、入り口で私が待って洋子だけさっと中を見て廻った。大覚寺から次どこへ行くか、中途半端な距離なのでタクシーで、嵐山迄行こうとしたが混んでいるから、すごく時間がかかると言われたので、少し早いが家に帰ることにして正解だった。夕方タクシーに乗って帰ろうものなら、渋滞でいつ家に帰れるかわからないような混み具合だった。洋子は京都駅周辺で買い物して帰るからと、五時半頃帰って行った。洋子のおかげで昨日、今日と、とっても楽しかった。お天気も抜群に良くて、絶好の花見日和で楽しさが倍増した。

    年一度 夜勤明けにて 友来たる  車椅子押され 嵯峨野路を行く

  • 四月九日(日)雨
     昨日とうって変わり、今日は朝から一日中雨だった。私達は本当についていたなあと思う。選挙は行けなかったが、子供達は行って来た。主人は夕方、六時半頃帰って来たが、雨降りの中兼六公園を回ったらしい。疲れたのか早く床に就いた。

  • 四月十日(月)晴れ
     今日は又いい天気。寿代は今日幼稚園の始業式で、本格的に仕事が始まり毎朝七時出勤となる。私が留守の時高橋さんからお電話頂いたそうなので、久し振りにお電話させてもらった。最近は京大病院に通っているから、リハビリセンターには長いこと行ってないらしい。息子さんが五月二十一日に御結婚されるそうで、肩の荷が降りると言ってらした。長さんにも電話したら、今日リハビリセンやーへ言って帰りに、花見して却って来られたらしく、お母さんとだけおしゃべりした。

    保健証 扶養家族の 数が減り 子ら次々と 巣立ちゆくなり

  • 四月十一日(火)曇り
     おばあさん今日は、少し元気だった。食事も〇・四ぐらい食べたし話も少し出来た。希代子は最近残業が多く、寿代も先輩達に気を使って二人共疲れ気味、遊んでいるのは私だけで、気がひけるが大きな顔でいる

  • 四月十二日(水)曇り時々晴れ
     朝方すごい雷と、土砂降りの雨で、目が醒めた。皆が出かける頃にはやんで良かったが、日中は風が強くヒューヒューうなっていた。昼から生協のヘルパーさんが来て下さり、たまっていた洗濯物を全部して下さったのですっきりした。

  • 四月十三日(木)晴れ
     希代子も寿代も、帰って来るのが遅く、主人は夕食いらないとの事で又、ピザを取った。ここ一週間食事らしい食事を作ってもらっていない、希代子も寿代も忙しいから仕方ないが、栄養を取らないと体力がなく疲れ易くなるのが心配。

  • 四月十四日(金)雨
     正隆は、わかば会で新潟から山形の方へ研修旅行へ行くことになり、今夜の夜行で発ち、日曜の夜十時四十分頃京都へ帰るとか、着て行く服がないので夕方、希代子と寺町で待ち合わせて色々服を買って来た。結局いつも服とか家具とか買う時は、希代子に頼ってしまう。わかば会の皆さんと仲良くなれるといいが。

  • 四月十五日(土)晴れ
     長覚寺様、十一時四十五分頃来られたが、希代子が居てくれて助かった。寿代は五時半頃帰って来たが又、頭が痛いと言って夕食食べなかった。

  • 四月十六日(日)曇りのち雨
     主人は仕事へ行って、夕方総会。希代子は家で習字、寿代は昼から友達とドライブ、夕食の買い物して帰って来た。

  • 四月十七日(月)晴れ
     良いお天気で暖かだった。あちこちの家の花壇にお花が咲ききれいだ。病院の帰り、民家のしだれ桜がとてもきれいだったので、ヘルパーさんが回り道して見せて下さった。春は華やかで楽しくてウキウキする。正隆が、旅行の御土産持って帰って来たがアパートの鍵なくしたとかで、スペアキーを捜したがないので会社に泊まるそうだ。

  • 四月十八日(火)曇り
     石津さんが旅行でお休みなので、森さんが来て下さった。今朝起きたら、ナプキン当てていたのに生理でズボンもショーツもシーツも布団カバー、円座カバー迄、沢山汚れてしまい、洗濯して頂くのが申し訳なかった。何でこんなに量が多いのか、毎日うんざりする。気曜日の診察の時血液検査したら又、貧血きついかも知れない。

  • 四月十九日(水)
     今日は風が強く肌寒かった。

  • 四月二十日(木)曇り
     今日は、おばあさんめずらしくよく食事食べられて、元気だった。梶田のお嫁さんから、希代子に師範昇格の御祝にとビザの商品券一万円分送って来て下さった。こんな事でわざわざ送って下さるとは、夢にも思わず皆びっくりして夜、希代子から御礼の電話させて頂いた。寿代が又、頭痛と関節痛と鼻水が、止まらないと言ってしんどそうな顔で帰って来た。風邪ひいたらしい、どうも最近調子が悪いそうだ。今日は初任給を頂いて来た。手取りは十八万強あり、現金で支給され思ったより沢山頂いて喜んでいた。希代子が私の初任給よりずっと多いとぼやいていた。三万円家に渡してくれたが、ガソリン代や電話代等らしい。まあ一万円程もらっておいて後の二万は預金しておこう。夜、園子姉さんからお電話があり、今月二十八日に正勝兄さんだけ、京都へ来られるので一晩泊めて欲しいとの事。おばあさんの部屋整理したら、何とか泊まってもらえるだろう。お布団どれにするかがちょっと大変。

  • 四月二十一日(金)晴れ
     石津さんに、リハビリセンターへ連れて行ってもらい、右腕の湿疹見せたら装具は変えられないが、サポーターならあせを防ぐ防菌効果のあるからと分けて頂いた。フォークも柄を新しいのに換えてもらい、吉本先生に首や肩等リハビリして頂いて少し楽になった。貧血の方は薬を飲み出してから、少し良くなっているらしい。寿代は、鞍馬口の方にある皮膚科へ寄って帰って来た。早くきれいになるといいが。

  • 四月二十二日(土)曇り
     昨日、長さんから借りていたガイドブックを、小野先生にことづけておいたのでその旨を電話したら、今日は純子ちゃんと長いことおしゃべりできた。つい娘の結婚の事でいろいろ話してたら、純ちゃんが私の結婚話は、かやの外みたいに話題にも取り上げてくれないし、自分自身も結婚なんて考えてもいないと、言っていたが、ひょっとして私純ちゃんを傷つけてしまったのではないかと、気がかり。でもうわべだけの慰め言った方が、もっと傷つくと思いなんでもないことのように、話したのだが、健常者でも結婚相手見つけるのはなかなか難しい事だからハンディがあると、よほど幸運に恵まれないと難しいと思うが、世の中にはそういう人も結構いるんだから、なんとか幸運に恵まれます様に。希代子はめずらしく、ケーキ作りに精を出していた。

  • 四月二十三日(日)雨後曇り
    朝方、雨と風が激しく台風のような感じだった。主人は川島さんの車で、和歌山行き。希代子と寿代は久し振りに部屋の整理等していた。夕方主人が帰り御土産にトロとぐじと梅干と那智黒買って来てくれた。トロは子供達はおいしいといっていたが、私は主人と一緒でネチッと脂っこいのが嫌いで口に合わない。ぐじは生で丸のままなのでお腹だけなんとか出したが、開くのは難しそうなので、明日ヘルパーさんにお願いしてみよう。

  • 四月二十四日(月)晴れ後曇り
     ぐじを、ヘルパーさんに開いて頂き塩ふっておいて頂き、夕食に頂いたら、流石本場ものだけあって、みがコロコロしてとてもおいしかった。昨日主人に、小さいぐじでこちらで買うのとあまりかわらないなんて言ってわるかった。希代子も寿代も七時半済んでから帰ってきたので、出前のうどんたのんだが、今日のはまあまあおいしかった。

  • 四月二十五日(火)雨
    細かい雨が降っていたが、病院の眼科に連れて行って頂いた。南館が一部改築されて眼科が出来たらしく、新しくきれいな所だった。リューマチ患者がよくかかる、ドライアイと云って、涙が出なくなるので、目の表面が傷だらけになって目がゴロゴロするそうだ。これはずっと目薬を、つけ続けなければいけないらしい。一日六回程と言われたが、自分で出来ないからそんなにさせないと思う。腕の湿疹といい目といい、リューマチは関節の破壊だけでなく、色々な処に影響するものだ。

  • 四月二十六日(水)曇り
    生協のヘルパーさん(久保さん)にぜんまいの煮物作って頂き、豚肉料理の下ごしらえしといて頂いたので助かった。

  • 四月二十七日(木)晴れ
     おばあさんを見舞っての帰り、生協の向かい側の歩道の水はけの穴に車椅子の前輪が落ち、車椅子から車道に転げ落ちておでこから血が噴出して救急車で、西京都病院運ばれた。
     レントゲンで頭と右手首を診て頂いたが骨は折れていないとの事で、おでこを四針縫ってもらって家に帰ったが、手首と左膝が痛くなって来て、そのうち気分が悪くなってトイレでガバーッともどしてしまい、又、救急車で病院へ運ばれ入院することになった、森さんが責任感じて、夜、主人達が帰って来る迄付いていて下さった。

    車椅子より 転げ落ち 顔腫らし  何の戒しめと 我に問うなり
  • 四月二十八日(金)曇り
     昨夜は、座薬を入れて頂いたので、手と足の痛みはましになったが、熱がずっと八度程ありしんどかった。森さん朝早くから来て下さった。

  • 四月二十九日(土)曇り
     昨夜、正勝兄さん桂の家に泊まられて、病院に来て下さった。折角来られる日にこんなになってしまい申し訳ないと謝った。おばあさんとこでしばらくおられたようだ。今日は、熱も下がり大分楽になった。

  • 四月三十日((日)曇り
     令子ちゃんが、子供達と一緒に病院へ来てくれたのでびっくりした。西友へ買い物に行って桂の家に行ったら主人がテニスから帰って一人でビール飲んで赤い顔していたらしい。御機嫌で色々な話をしてから私のとこえ来てくれたそうだ。私が、元気そうだったので安心して帰った。

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  • 五月一日(月) 
     昨夜は、一睡も出来なかったので頭が痛く食欲もなかった。 今日は眼科とCTの検査して、どうもなければ退院と言われたので楽しみにしていたが、主治医が頭を打った時は数日して症状が出る場合があるから、もう少し様子をみましょうということでがっかりした。福祉協会の新しいコーディネーターさんとチーフヘルパーさんが様子を見に来て下さった。保険が出るのでそれを御見舞金にさせてもらうと言われた。

  • 五月二日(火)雨
     毎日うっとうしい日が続く。昨夜はよく眠れてすっきりした。明日、退院はまだだが外泊してよろしいとの事、森さん毎日来てお世話して下さったが今日は、他へお仕事だったので帰りに寄って下さった。

  • 五月三日(水)
     寿代が十一時頃迎えに来てくれて帰る準備をしていたら、幸子姉さんに出会いびっくりした。おばあさんの事は幸子姉さんにたのんで家へ帰ってやれやれ、やはり家は動き易くて良いが、右手首はまだ腫れて痛みも残っているので使いにくい。

  • 五月四日(木)曇り
     今年の連休は、ずうっとお天気が悪い。主人は、昼から庭の手入れをしてくれた。気になっていたマンホールのふたも開けてもらい、つまっていたゴミを取って下水が流れ良くなった。洗濯物をたたんで山程積んであるがなかなか整理してもらえない。洋子から手紙が来て介護福祉士の実技も受かったそうだ、頑張りが報われて良かった。

  • 五月五日(金)晴れ
     昨夜寝る時と今朝布団からおきあがった時、めまいがして頭がふらついた、しばらくふらぁとしていたがだんだん治まって来た。夕方五時前に、病院へ帰った。

  • 五月六日(土)晴れ
     昼前抜糸して下さり、退院の許可が下りたので、十一時頃家に帰って来た。福祉協会に電話で報告しておいたらしばらくして、森さんが退院おめでとうと花束持ってきて下さった。

  • 五月七日(日)晴れ
     昼間、お父さんにお風呂入れてもらいさっぱりした。顔のガーゼも取れて内出血もそれ程大きく拡がらずよかった。お父さんは話相手が帰って来てやたら元気なので喜んでくれているみたい。

  • 五月八日(月)晴れ
     森さんも私の元気な様子に安心されたようだ、久し振りにきれいにお掃除して頂いてすっきりした。子供達は又、今日から早起きして仕事なので気合入れて頑張ろうと云う気持ちらしい。ファイト

  • 五月九日(火)晴れ
     良いお天気が続き日中は、汗ばむ程、今が一番すきな季節で嬉しい気分。

  • 五月十日(水)晴
    今日又、おばあさんがオムツをはずしてしまい、防水シーツ迄はずしてあったので、掛布団も敷布団もぐっしょりぬれてベッドマット迄ぬれていた。良いお天気だったので、お布団は乾いたが、気持悪いので敷布団は別のを出してもらった。その時に肌布団のいらないのを、お布団の買えないお年寄りの方に渡して頂くようお願いした。おばあさんの靴も持って帰って下さった。主人は、夜八時半に帰って来た。 夕方幸子姉さんから電話があり、おばあさんちっとも頭洗ってもらえないし、もっとちゃんと世話してる病院に移したいので、心当たりの病院を探して欲しいといわれ、堀川病院と三菱病院に電話してみたが、どちらも老人病院ではないと言われた、桂病院はお姉さんが聞いて断られたらしい、主人に相談したら、今までお世話になっていて
    そんな感じの悪いこと出来るかと言っていた、私も同感でそれなら家政婦さんに週一度、病院へ行ってもらい洗濯や清拭をお願い出来ないか、看護婦さんか、看護助手さんに諒解してもらったら気を悪くされるかしら。

  • 五月十一日(木)雨
     森さんに、お婆ちゃんの事、相談したらお姉さんがして上げるのが、一番いいんじゃないですかと言われ、私も思わないでもなかったが、お姉さんは自分でする気はさらさらなさそうだし、私もそんな事たのめる筈がない。森さんが午後ヘルパー協議会に出席するから、時間があれば誰かに相談してみると言って下さった。主人は疲れたのか、おとといも今朝も九時過ぎに起きて、ヘルパーさんと顔を合わせても、軽く挨拶するだけで「いつもお世話になってます」と言ってくれないので、気を使ってしまう。前も言ってくれるようにたのんだのに。正隆に挨拶が出来ないなんて言えない。父親が手本を示さなくてどうすると言いたいが言えだこちらが怒られるので言いにくい。

  • 五月十二日(金)雨 
     昨日からの雨が益々激しくなり、近畿地方に大雨警報が出ていたので、幼稚園あるのだろうかと言い乍ら、七時前に希代子も一緒に家を出た、生協のヘルパーさんにも来て頂くのは気の毒なのでお断りの電話したが、行くつもりししてますからと云う事で来て下さる。幸子姉さんから電話があったので、堀川病院も三菱病院もだめで、今ヘルパーさんに聞いてもらってる処だと報告した、幸子姉さんは、和歌山の田辺にいい所があるらしいと言われたがあまりに遠すぎて、家族が会いに行けなくなると言ったら、もう家族の事もよくわからないんだから、家族と会う事より設備や看護の行き届いた所に、入れて上げる方がいいにではと言われたが、おばあさん家族の事全然わからない訳じゃなく、やっぱり私達が行くのを待ってて下さってるようなきがする、(こちらの勝手な思い込みかも知れないが)から、いくらいい所へ行ったって、淋しくないかしらと思ってしまう。

    人間とは何か                           
    男と女、最近は中間も多いでもみんな人間。男女平等と言い乍ら女の権利を主張したり、女の生き方等と女にこだわる男の人の方が、男の権利を主張しなくなってきた。中間層が堂々と、名乗りを挙げてそれを利用して仕事をしている。日本人も外国人も、やはり人間。男とか女とか日本人とか謂う事はその人の個性ととらえ、皆同じ地球に住む人間として生きるべきではないか、人間が動物と異なる点は、考えて心をコントロールできる所だと思う、精神を病んでまともな考えが出来ない人、行基又は老衰で自分の意思表示が出来ない人も、心は残っていると思う。心は育ってきた環境、現在おかれている環境で育っていくものかも知れない、性格と云うものは、変える事は来ないが心は変えることが出来る、長年努力して変えることもあれば、何か一つの事がきっかけでコロリと変わることもある。心は自由だ、本当の自由と変えるは心が自由になる事、こころを自由にすると見えていなかった幸せが見えてくる。感謝の心が沸いてくる。人間として生れた以上、どう生きるべきか常に心の片隅において生活したい。

    平凡に 今日を送れて 喜ばし  花鳥風月 いとしきものよ

    繰ちし春 足踏みしながら 訪れし  青空に胸捧げ 息吸わむ

    ほっとかれ やせた土より 芽を出して 健気に咲いた 黄のチュウリップ

    痛みなく動けることは 夢なのか  夢の中にて 手をつねる吾

    地震後に 深く感じた人間愛  無差別テロを 起こすも人間

    やわらかき 青春の薄さ 初初し 日毎濃くなり 新社会人も新まいさんも

    姑見舞い 帰りの道にて 家々の  花の彩り 心なごむ

    五十五で トライアスロン 初挑戦   ゴールの兄の背に 応援幕あり

    足ほてり フローリングの 床の上   素足を乗せて 移動しており

    家人皆 忙し過ぎて いつの間に  庭の筍 天を突く様

    我が声の 大なりしを 指摘され  声潜めれば 気も沈む

    職業欄 無職と書きし 主婦ならん  身障の我 心うずきて
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