旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
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  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成七年一月一日(1995)(日) 晴れのち雨 
     昨夜、お風呂入れてもらい、身体温まっている時寝たせいか朝十時頃迄よく眠れた。起きたらとても良いお天気で、清々しい元旦だった。皆で御雑煮を食べて年賀状を見てから、おばあさんに挨拶に行った。元気そうな様子に主人も安心したようだ。帰り道時雨れて陽がさし、きつねの嫁入りになって、美しい虹がかかり元旦早々、いいことにあったみたいで気持ち良かった。今年も皆が元気で、楽しく過ごせます様に。短歌をちゃんと作ろう。

  • 一月二日(月)曇り
     昨日から、冷え込みが厳しくなって、どこも行く気になれない。箱根駅伝や時代劇を見て過ごし、夜は、主人が錦で買って来てくれた、ふぐちりを食べた。やわらかくてとてもおいしかった。

  • 一月三日(火)曇りにち雨
     今日はおばあさん、熱があって全然食欲なかったらしい。昼から雨降り、誰もどこへも行かず。

  • 一月四日(水)雨
     希代子と寿代は、昼からバーゲンへ行き、色々と買って来た。主人は今日から仕事。正隆は、電話したが出ずこちらへは来なかった。

  • 一月五日(木)晴れ
     今日は森さんが、イタリアへ旅行中なので代わりに、伊藤さんが来て下さった。相変わらずニコニコと笑顔で接して下さりホッとする。幸子姉さんが、病院へ行きしに家に寄って下さりお年賀の御菓子と寿代に、お年玉と就職祝いを下さった。倉橋の美和ちゃんから年賀状が届き、三月に結婚して東京の方へ行かれるとか、なんだか急に、美和ちゃんや奥さんに会いたくなって来た。出来ることなら御祝い持って伺いたい。

  • 一月六日(金)曇り時々晴れ
     倉橋さんにお電話してみたら、奥さんが出られて久し振りに、積もる話をした。美和ちゃんは合唱団で知り合った方と、結婚されることになったとか、通産省へお勤めの方で三年程、留学されるらしい。流石、美和ちゃんらしい方を選ばれたと思う。あちらのおばあさんも三年程、入院なさっているとか、うちのおばあさんのこと聞いて、びっくりしておられた。

  • 一月七日(土)曇り
     正隆が昨日から風邪をひいて今日は、仕事休んだので昼から寿代に様子見に行って、おじやでも作ってもらうようたのんだ。ついでに正隆のアパートで勉強すると言って、六時頃帰って来た。正隆は午前中は、大分しんどかったらしいが、昼からだんだん元気になって来たらしい、熱もないとの事で一安心。

  • 一月八日(日)晴れ
     希代子朝から書道の研修会。主人はライオンズの新年会に出かけた。夕方、美智子叔母さんからお電話頂き、今日お墓参り行って来たら、内藤元一さんと書いた御塔婆があったが誰かと聞かれ、幸子姉さんの娘婿さんやと思うと言ったら、御礼の電話しておくようにと言われたので、幸子姉さんに電話したらこちらから言っておくから、姫路迄電話しなくて良いとの事だった。昨年のお盆以来お参りしてないので、お塔婆がそのままで恥ずかしかった。あんたが病気でなかなかお墓参りに行けないのはわかるけど、米澤家のお墓を守って行く立場やからと、美智子叔母さんに言われた。仰言る通りで申し訳ない。次の日曜日に、主人に連れて行ってもらえるかな。

  • 一月九日(月)晴れ
     森さんがお休みなので、久し振りに安原さんが来て下さった。久し振りに会う人一様に私が太ったと言われる。おばあさんが入院してるので、楽させてもらってるからと言っているがちょっとバツが悪い。今日は三月下旬頃の暖かい陽気だったらしく、病院への往復も暖かくて助かった。

  • 一月十日(火)曇り
     今日は昨日とうって変わり、雪がちらつく寒い日だった。風呂上りへ病院へ行ったので、風邪をひかねばよいが。

  • 一月十一日(水)曇り
     案の定、風邪ひいたのか喉がいがらっぽい。希代子も二、三日前から風邪ひいて鼻グズグズ云わせて、しんどそうなので一日会社休んで、病院へ行くか一日ゆっくり寝たらと言ってるが、仕事の責任上休めないようだ。

  • 一月十二日(木)晴れ
     風邪気味なので、お風呂は入れてもらわなかった。おばあさん食欲もあり、受け答えもまあまあしっかり出来ようになってきたが、私の事を容子さんだとは、はっきり分からないようだ。

  • 一月十三日(金)曇り
     朝布団から出たら急に咳きが出て胸に響き、一日中何回となく出て苦しかった。御布団で寝てたらあまり咳きは出ないだろうとは思うが、一時間おきにトイレに行くので寝たり起きたりがつらいので、寝ることが出来ずこれが夏だったら、御布団かぶらずにいられて寝られるのに、難儀なこと。
     
  • 一月十四日(土)時々曇り
     一時半頃、正勝兄さんと園子姉さん来られた。病院へ寄って来て下さったそうだ。昔のアルバム見て焼き増しして下さいとの事、お兄さんは明日帰られるとか。

  • 一月十五日(日)晴れのち曇り
     長覚寺様来られて久し振りに、主人お参りに会えた。夕方園子姉さん病院の帰りに寄って下さり、三好さんのお母様が昭和五十年頃に作られた和歌が、堀川の家のことを詠んでいるので、記念に残しておきたいので希代子に色紙に書いて下さいとの事、希代子も忙しいのでいつ書けるかわからないが、うちの分も書いてもらって残しておきたい。

  • 一月十六日(月)晴れのち曇り
     昼から女子駅伝があり、主人とのんびり見ていた。京都は二位。駅伝が終わってから相撲等見て、主人も今年になってから家でゆっくりする事が多くなり、それだけ仕事が暇になったと言う事だが今のところ生活に支障はなく、主人がゆっくり休めると云う事は、結構なことだと思う。

  • 一月十七日(火)晴れ
     朝五時四十六分頃、大きな地震があり、震源地は淡路島で京都は震度五できつかったが被害はなかった。でも神戸の方は震度六で高速道路が倒れたり、電車が脱線したり大規模な火災が起きて、夜には死者が千三百人程になり、まるで戦争でも起きたような大災害で、よくぞ京都は助かったものだと思う。余震が来る恐れがあり、どうか被害が出ません様に、焼け出された人、家がつぶれた人、この寒空に不自由な生活を強いられ、本当に気の毒だ。

  • 一月十八日(水)晴れ
     燃えるにまかせた神戸の長田区は、本当に戦禍のような惨状で死者も続々増えて二千四百人以上になった。黒井の叔母さんにやっと連絡が取れ、叔母さん宅も喜美子さん、お孫さんの所も無事だったとの事、幸子姉さんからは公衆電話を使ってかけて来て下さり、食器が三分二程割れたらしい。明日おばあさんとこへ行くと言っておられたので、明日病院へ行って様子をお聞きしよう。

  • 一月十九日(木)曇り
     死者が三千七百人程になった。被災された人達は食料、水等が、満足に与えられず、寒さに震えておられ暖かい部屋で食事をしていれのが、申し訳ない気になる。なんとかお手伝いしたい気持ちはあるが出来ないので、義援金だけでも送らせて頂こうと、家族で話し合った。幸子姉さんは食器の後始末も出来たし、晶子ちゃんや和子ちゃん宅も無事だったそうだ。親戚は皆無事だったので何より、でも又、いつ地震が起きるか分からず、真剣に地震対策を考えなければ、棚やタンスの上に置いてある、人形ケース等も取りはずしておかなねば危ない

  • 一月二十日(金)
     とうとう死者4千人を超えた。でもがれきの下から助けられた人も八人程いたらしい。運のいい人と云うか命冥加のある人だと思う。京都もいつ地震が起きるかわからず、その時はどうしたらよいか考えると本当に恐ろしい、今迄、水も電気もガスも当たり前のようにふんだんに使い、ぜいたくになれた者達への警鐘と思い何でも大切に、狭い家を物で増々狭くすることのない様、必要以外は買わない事を心がけなければと思う。

  • 一月二十一日(土)
     不幸中の幸いで今迄、お天気が良かったのがなによりの救いだったのが、今夜あたりから雨降りになるらしいどうかきつく降りますん様に。

  • 一月二十二日(日)
     とうとう朝方から雨が降り始め、被災地では土砂崩れ等の二次災害が起きない様避難勧告が出た。それにしても今迄、、隣は何する人ぞの都会の淋しい人間関係が浮き彫りにされていたが、今回の事で近所の人々や見知らぬ人々が団結して助け合ったり、遠い所から何時間もかけて思いに持つを背負って親戚や知人、友人に救援物資を届けたり、ボランティアの人、日頃手伝い等しない子供達迄、協力している光景を見て、闇の中に光明を見る思いで本当に嬉しい。この気持ちを忘れず、みんなで一日も早く復興出来ます様に。
    それと昨年末はいじめの問題で、学校の先生方は批判の対象になっていたが、今回の先生方は大活躍で見直した。日本人らしい良さが発見された事は唯一の収穫だ。

  • 一月二十三日(月)
     とうとう死者5千人を超えた。いちも地震対策しなければと思い乍ら何もしていない。タンスの上の人形ケースを処分したり、非常持ち出し用の荷物を用意しようと思うが、みんな忙しくてなかなか出来ない。

  • 一月二十四日(火)
     希代子は又、風邪ひいて熱が七,四度あったが出張だからと出勤して帰って来たら七,五度あって早々に寝たが、お正月から何度も風邪ひいて、こじらせなきゃよいが。

  • 一月二十五日(水)
     希代子は朝八度熱があったので会社を休んだ。稲さんから京都は地震どうでしたかと電話下さった。お互い地震が来たも逃げる事は出来ず、運良く助け出されても避難所生活は耐えられないと思う。そういう人は実際沢山おられると思いが、どうしておられるのかと気にかかるねと話した。

  • 一月二十六日(木)
     仕事場の4階を被災された方に、使って頂こうと家族で話し合い、ホームスティを申し込んだ。実際に来て下さるかどうかはわからないが、何んとかお役に立つことが出来ないものか。寿代は今、卒論の追い込みで忙しいがそれが終ったら幼稚園に手伝いに行く迄の間、乳幼児のお世話か、なんでも出来ることをお手伝いに行ったらどうかと主人が提案し、寿代もお友達に相談して行こうかとなったが今は卒論仕上げるのにいっぱいらしい。

  • 一月二十七日(金)
     久し振りにリハビリセンターに行き、咳やくしゃみが長い事続いていると言ったら、胸のレントゲン撮って下さったら、少しもやもやしているので内科で診て頂いたら、レントゲンの様子だけでは、はっきりした事はわからないからと血液検査して頂いた。一週間後に結果を聞きに行く事になった。

  • 一月二十八日(土)
     寿代が卒論をワープロで仕上げる為、仕事場に行ったがやりにくいので、ともちゃんに借りて来て家でする事になった。事務所は長いこと掃除した事がないらしく、あっちもこっちも汚いので掃除してきたそうだ。岩田さんは年配の女性だから当然きれいに掃除して下さっていると思っていたが甘かった。

  • 一月二十九日(日)
     主人は昼から仕事。鬼いこと寿代はワープロ打ちに忙しく、おばあさんの所へ行く間がないので正隆に行ってもらった。帰る時、正隆に「帰らんといて」と言われたそうだ。

  • 一月三十日(月)
     今日はとても寒く、おばあさんの所へ行く途中から雪が降り出し、夕方にはうっすらと積もつた。北海道、東北地方は大雪で神戸も寒いらしく、点と生活や避難所暮らしの方々の事が思いやられる。稔さん、インドへ出発。無事にかえつて来られます様、なんて不吉かしら、うんと楽しんで帰って来て下さい。

  • 一月三十一日(月)
     今日も雪がちらついて寒かった。おばあさん、最近よくおしゃべりするようになり、結構食欲もあり元気になって来られた。

    一月十七日 阪神・淡路大震災
    地獄絵と 化したる神戸の 街並は   戦禍と見まごう 灰色一色

    五日間 飲まず食わずで がれき下  よくぞ助かりし 明暗わかれ

    天災の 脅威まざまざ 見せられし  我等驕りへの 警鐘なり

    人々の 助け合いし 光景は  闇の中での 尊き光明

    暖かき 部屋にて食事 する度に  被災地に思いはせて 頂くと思いしが

    無関心 自分本意と 思いしが  ボランティアする 若者に脱帽
      
    被災され 安楽死の道 選ばれ死し  悲しい目をして ふるえいる犬

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  • 二月一日(水) 曇り
     古い布団、マット四枚と希代子のせんべの布団を大型ゴミに出した。勿体無い気もするが押入れの場所もとるし、誰かに使ってもらうような物でもないしごめんなさい。長い事お世話になって有難う。保木さんが、お墓詣りの帰りに寄って下さり、おしるこやお饅頭や煮豆等沢山頂いた。

  • 二月二日(木)曇り
     最近希代子は時々、会社へ行きたくないだの辞めたいだの、挙句の果ては会社つぶれたらいいだの、何とバチ当たりな事を言うようになった。仕事が気に入らないとか、人間関係で悩んでる様にも見えないので、単なるズボラ病ではないかと思えるが、会社勤めした事のないお母さんには分からないと、言われれば二の句がつげないが、被災されて住む所も働く場もなくなった方や、就職浪人しなきゃならない人の事思ったら、そんなバチ当たりな事は言えない情けない。私の教育はなんって大そうなものないけど、育て方間違っていたのかしら。私はちょい負い目から、子供達に遠慮して甘かったのかも知れない。やはり厳しく言う時は言わないと。

  • 二月三日(金)晴れ
     血液検査の結果を聞きに、リハビリセンターに行ったが、内科はいつもよく混んで長いこと待たなければならないので、久し振りに四階に行って吉本先生にリハビリして頂いた。入院されている森さんも見舞った。血液検査の結果はやはり貧血がきついからとお薬を頂いた。夜、希代子は会社のスキー旅行に出かけた。 

  • 二月四日(土)曇り
    寿代は、やっと卒論仕上がり見せてもらった。「百貨店のゲームセンターに来る子供」と云うタイトルで、現代の小学生の姿を研究したもので、アルバイトしながらアンケートを取ったりしてグラフを作ったり、まあまあの出来だった。主人が三年間の月謝の二百四十万円の集大成かと言っていた。三年間でどれだけの事が学べたかは、これからの仕事の上に現われて来ると思う。明日から卒業式迄春休みなので、幼稚園にもちょこちょこ手伝いに行くらしい。

  • 二月五日(日)曇り
     主人テニスへ行って、三時頃帰って来た。寿代は友達とドライブに行って夕方帰り、希代子は夜十時半頃、スキーから帰って来た。

  • 二月六日(月)晴れ
     保木さんのおじいさんから、御自身の書かれた俳句集とか、般若心経の解説のカセット等を送って下さった。正直な処、般若心経には全然興味ないが、私に良かれと貸して下さった気持は嬉しい。七五・六才だと思うが色々な事に興味を持って挑戦なさる処は、本当に頭がさがる。

  • 二月七日(火)曇り
     寿代は西宮市役所にボランテアに行き、夜九時頃帰って来た。救援物資の仕分けの明細表の様な事務的な手伝いなのでそれ程大変な事はなかったが暖房きいてなくて寒いし、トイレも水が流せなくて汚くて臭かったらしい。市役所の中でさえそんな風だから、避難者やテント生活の方達は、どんなに寒くて不自由な事かと思う。

  • 二月八日(水)晴れのち曇り
     私は家の中にいて気付かなかったが、三月中旬の暖かさだったらしい。春が近づいて来た実感がする。

  • 二月九日(木)曇り
     おばあさん朝脳の検査をして頂いたらしいが、何故検査して下さったのか結果はどうだったのか、最近先生にお会いしてないので又、お聞きしなくちゃ。夜七時過ぎ稔さんに電話したら、昼の一時頃家に帰ったらしい。二十名程の御寺さんと一緒の旅行で楽しかったらしい。どこへ行っても人で一杯だったそうで。何はともあれ無事に元気で帰って来られてやれやれ。

  • 二月十日(金)曇り
     寿代はこの頃、幼稚園の手伝いで忙しい。

  • 二月十一日(土)曇り
     今日は田畠家の法事で主人は、お参りに寄せて頂いた。おじいさんの従兄の代の事なので、主人はもう血も薄く殆ど知らない人ばかりだったが「正文さん、正文さん」と呼んでくれはったと喜んでいた。

  • 二月十二日(日)晴れのち曇り
     一日主人は、寝たり起きたりのんびりと過ごした。希代子は友達と占いを見てもらったら、色々な事が当たってびっくりしたとすっかり占いを信じている様子、寿代もそれを聞いて自分も行きたいと言っていた。信じてもいいけどそれに振り回されないように、そんなものは当てにならないと言ったら、おもしろくない人だって結構、そういう事に同調はしません。

  • 二月十三日(月)曇り
     今日は森さん二時間だから、お風呂入れて頂く予定はなかったが、今朝は調子が悪くあちこち痛かったのでお風呂入れて頂いたら、すこし身体が楽になった。稔さんからインドの御土産、送って来て下さり開けてみると、インド更紗、香水、Tシャツ、スカーフ等沢山入っていて、御礼の電話したら幸子姉さんと分けて下さいと言われたので、明日病院へ持って行こう。

  • 二月十四日(火)曇り
     西京社会福祉協議会と被災者「障害児」者支援の会に一万ずつ募金させて頂いた。私が健康な身体だったらお手伝いに行きたいと思うので、せめてお金だけでもと云う気持だが、実際、介護なさっている方は本当に偉い方だと思う。何事も即実行に移すには迷いや勇気がいるが、私を始めうちの家族はそれが足りないと思う。

  • 二月十五日(水)晴れ
     寿代は毎日朝八時に出て、夕方六時半頃帰って来るので洗濯物を干す時間がなくて困る。これからお勤めするとなるとどうなるのか心配。生協のヘルパーさんは週何日来て下さるのか聞いてみなきゃ。夕飯の下ごしらえ等もたのみたいし、おばあさんも何時迄病院に置いて下さるか、もし帰って来られたらどうなるのか、まあ先の事心配してもしょうがない。その時はその時。

  • 二月十六日(木)曇り
     洋子から手紙が届いた。忙しい中から介護福祉士の資格を取る勉強を独学して七回試験に挑戦したが駄目だったらしい。一生縣命勉強したのに問題は年々難しくなって、清も根も尽き果てたようだ。でもそこ迄良く頑張ったと思う。今迄勉強して来た事は決して無駄にはならないから自信を持って欲しい。昨年宝ヶ池へ行った時の写真同封されていたが、紅葉しはじめた処だったが、きれいに写っていた。

  • 二月十七日(金)晴れ
     今日は生協のヘルパーさんに来て頂き、掃除や洗濯をして頂き助かった。長覚寺様も今日来て頂き、おばあさんの院号代十万お渡して御袈裟を頂いた。四時頃、君子叔母さんが来られてお寿司を頂き、稔さんの御土産やおしるこ甘酒等持って帰って頂いた。

  • 二月十八日(土)晴れ
     希代子のお友達が十一時頃来られると云うので、昨夜から部屋の整理してまだ今朝もやっていた。何時間もかけてかたづけなきゃならない程、散らかしているとは、それでも女かと言いたくなる。結婚したらちゃんと整理整頓するかしらと心配になる。結婚出来るかどうかの方が先に心配しなきゃいけない事だけど。

  • 二月十九日(日)晴れ
     主人は仕事で滋賀県に行き、お米三十`頂いて来た。寿代は幼稚園の発表会で朝早く出て十時頃帰って、明日行くスキーの用意して随分疲れた様子なのに、スキーに行って大丈夫かしら、二十二日の晩に帰って二十三日から本格的な研修に入るらしく、朝は7時半迄に出なきゃならないし大変、でも皆やってる事なんだから社会人としての厳しさを経験して大人になって欲しい。昼の二時頃、震度三の地震があり結構揺れてこわかった。昨夜も微震がありいよいよ京都も地震の活動期に入ったのではと思い、やはり地震対策しなければ何かあった時後悔する事になる。

  • 二月二十日(月)晴れ
     朝早く寿代は、学校からのスキー旅行で琵琶湖バレーに行き、明日夜帰る予定。明後日からは研修となり七時四十分には、家を出なきゃならないので早く帰れたらいいのに。

  • 二月二十一日(火)晴れ
     今日は雪がちらついて寒かった。寿代は7時過ぎに帰りスキー場は、吹雪であまり滑れなかった。

  • 二月二十二日(水)晴れ
     今日は寿代早めに帰って来た。幼稚園の送迎バスに始めて乗ったそうだ。遠方迄行くので最初に乗った子は一時間程乗ってるので、バスの中で歌ったりお話したりのバス保育をするので、寿代は一年間それをしてから担任を持つので、いい勉強になる。明日からは七時に家を出るらしい。頑張れトッチャン

  • 二月二十三日(木)晴れ
     病院へ行ったら、おばあさんしんどそうに息して、ガタガタ震え、話かけても何も答えなかった。看護婦長さんに聞いたら、点滴の注入口から炎症起こしているのだと思うが、先生に聞かれるのだったら、都合の良い日を聞いて電話しますと言って下さった。昨年十月頃と同じ様な症状なので大丈夫とは思うが。

  • 二月二十四日(金)晴れ
     石津さんにリハビリセンター連れて行って頂き、整形で診て頂いてからレントゲン撮って内科で診て頂いたら、肺の左下が白くなってるのと、肺全体が少しもやがかかっているのが気になるからと、CTを撮って下さった。結果は次回の診察日言って下さるそうだが、そう言えば左下脇腹が痛いような感じがする。気のせいかも知れないし大した事はないと思うが何かあって入院と言われるのが怖い。今年一年どうか入院せずにすみまさ様に、主人も仕事から帰って来て肋間神経痛がまた起きたと言っていた。医学書見ても鎮痛剤で治まるぐらいしか書いてないので、セデス飲んで寝たが治るかしら。

  • 二月二十五日(土)晴れ
     寿代はお友達と、城之崎温泉へ一泊に出かけた。希代子が病院へ行ったら、おばあさん元気になって食事もまあまあ食べたらしい。快復するのも早い、やはり大した事はないのだろう。昼からピアノの調律をしに希代子の高校時代の先輩の、吉川さんが来て下さった。

  • 二月二十六日(日)晴れのち曇り
     主人が今日は何も予定がないから、病院へ連れて行ってくれると言ってくれたので外へ出たら雨がぽつぽつ降っていたので傘をさして出たら雨足が激しくなった。病院前迄来たら雨が上がった。おばあさん顔色よく元気で半分程食べられた。病院から出たら又雨が降って来て二人共コートやズボンがびしょぬれになった。帰りにファミリーレストランで食事をしている間に雨は上がり、テニスの後いつも主人の行く喫茶店で、コーヒー飲んで帰ってしばらくしてから、寿代が帰って来た。食事はもう一つだったが温泉に入ってよく寝られて、疲れが取れたらしい。

  • 二月二十七日(月)晴れのち曇り
     普段にはく私のズボンを作って下さる人がいないか、森さんに聞いたら月曜日に近くの洋裁教室で聞いて来ますと言って下さり、先に洋裁の先生に会ってから来て下さった。布地は自分で用意すること、スカートで一万五千から二万円の仕立て代との事、ちょっと高くて普段着にしてはもったいないな、令子ちゃんにたのみたいが忙しくしているのに悪いし、困った。

  • 二月二十八日(火)晴れのち曇り
     病院から電話があり、午前中先生が会って下さるよの事でお話を伺った、熱がちょこちょこ出るのは点滴の注入口が感染を起こす為で、内臓は異常ない。脳波の検査でも脳の働きは低下しているがこれも異常なしとの事、今の状態がずっと続き、点滴ははずせないので退院は見通しがつかないらしい。うちとしては病院に置いて下されば安心だし、助かるがおばあさんの事思うとこのまま最後迄、病院のベッドで過ごすのかと思うと、可愛そうになる。

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  • 三月一日(水)曇り 
     水曜日はヘルパーさんが来られない日なので、洗濯物はたまるし、後片付け等もあって娘達が大変なので、生協のヘルパーさんに来て頂けないか、しばらく様子見てからお願いしようかな。希代子が最近、今の仕事は自分に向いてないから、辞めたい等と言うので主人に言ったら、お習字の方をもっと力入れて一流になるぐらいの気持ちでするなら、会社辞めて習字一筋にやったらいい、その為の援助ならいくらでもすると言っていたので、希代子に言ったら一流になるつもりはない、趣味で続けるだけだと言う。それなら、文句言わずに仕事続けろと言いたい。うちの娘もやはり今時の子供で、しんぼうが足りないのと言うか考えが甘い。

  • 三月二日(木)曇り
     おばあさんの診断書お願いしていたのが、出来ましたと電話頂き頂いたが内科の先生が書いて下さったので、骨折して手術した事は何も書かれなく、郵便局の人が手術したらその分保険も出るから、書き直してもらって下さいと言われ、お金頂こうと思うとなかなかすんなりとはいかないものだ。いくら頂けるかわからないがそれで、おばあさんの入院費が払えれば助かる。

  • 三月三日(金)曇り
     生協のヘルパーさんに来て頂いて、掃除や拭き掃除、台所の片付け等して頂いて助かった。二時間二千円では安過ぎて申し訳ない気がする。四月になったら水曜日も来て頂けるかお願いしてみよう。

  • 三月四日(土)曇り
     三好さんの母上の三回忌に、主人がお詣りさせて頂いき、先日園子姉さんに頼まれていた色紙を持って行ったら、皆さん喜んで下さったそうだ。鎌倉から来ておられた母上のお友達の方にマイスター(ヨーロッパーで云う職人)と言われて御機嫌だった。

  • 三月五日(日)曇り
     正勝兄さんと園子姉さん来られて、病院へ行って下さった。今日は一月に行かれた時とは大分弱っていたと言っておられた。寿代の黒服とスーツ買に希代子と二人でデパートへ行って買って帰って来たが、何と黒服七万五千円とかびっくり、希代子が二年前に六万ほどで買って帰って来た時もびっくりしたが、それより一万五千も高いとは、私のなんか十七・八年前に買ったのは確か一万円位だったと思う。黒服は大して流行はないのだから何年も着られたら、まあ高い買物ではないが。

  • 三月六日(月)晴れ
     今日はおばあさん食事も半分食べられて、すこし元気になっていた。引き出しに君子叔母さんのメモがあり、三日の夕方来て下さったらしく御礼の電話させて頂いた。

  • 三月七日(火)曇り
     夜中から急に右の上下の歯が、うずき出してなかなか寝付かれず、朝目覚めたら治っていたので良かったと思ったが、歯を磨いてうがいをしたら又、ズキンと痛み出ししばらくして治ったが、その後何回もいたみがおそって来て、顔の右半分迄痛くなる。以前の様にケロッと治ってくれると良いが。

  • 三月八日(水)晴れ
     主人は昨夜工芸会の集まりがあり、飲み過ぎて今日は昼の二時頃迄、工場で寝ていたらしい。だんだんお酒に弱くなって来たようだ。少しずつ体力も衰えているのだから無理しないでほしい。

  • 三月九日(木)晴れ
     午後、長さん親子が来て下さった。葉書で車椅子で行ける旅館かホテルを教えてと書いておいたので、その本を持って来て下さった。じゅんちゃんもお母さんも元気そうで、二時間程夢中でしゃべり会った。

  • 三月十日(金)雨
     長さんかに借りた宿泊施設の本見ていたら嵯峨野の方に車椅子で泊まれる所があったので夜、洋子に電話して四月七日か二十八日都合良いか聞いたら、一ヶ月前だったら休みが取れるから七日に行くと云う事になった。その頃は丁度花見の季節なのできれいだと思う。今からその日がとても楽しみ。福井で車椅子で泊まれる所ないか探したら、なんと安島に身体者向けのペンションがあるのを見つけて、洋子に聞いたらペンションは知っているが、身障者向けになっている事は知らなかったと言っていた。今年の夏は家族でそこへ行って八年振り位に実家へ行って、お墓参りがしたい。実現出来るといいなあ。

  • 三月十一日(土)晴れ
     寿代は朝早く車で、長島スパーランドへ出かけ十一時頃帰って来た。主人は高校の同窓会があり、希代子は大丸でスーツとバッグと主人の靴かって来た。森さんが折角従業員割引券下さったが、除外品で使えなかったそうだ。

  • 三月十二日(日)晴れのち曇り
     主人はテニスの試合。希代子と寿代は美容院行き。私も昨年十二月に美容院へ行ったきり、行ってないのでずいぶん伸びてうつとおしくなってるが、なかなか連れて行ってもらえる時がない。

  • 三月十四日(火)曇り
     十五日は娘もいないし、ヘルパーさんも来られないので、長覚寺様に今日来て頂いた。

  • 三月十五日(水)晴れ
     寿代卒業式。先生に御礼にお渡しする花束と記念品を持って行った。希代子は免許更新の為、昼から会社休んで車で行き、四時過ぎに帰って洗濯物干してもらい夕食作ってから、英会話に行った。

  • 三月十六日(木)雨
    一日中雨降りで暖かだった。希代子は二十四才の誕生日。そろそろ結婚話があってもよさそうだが全々なし。御縁のものだからあせってもしょうがないが、今年か来年中にはいい人が現れてくれるといいなと云うのは、本人の願いでもあり親の願いでもある。

  • 三月十八日(土)曇り
    昨日よりは、今日は少し寒かった。寿代は昼から奈良のお友達の所へ。希代子は夕方からお友達の結婚式の二次会に出かけた。

  • 三月十九日(日)曇り
     希代子と寿代に車で、お墓参りに連れて行ってもらった。今日は時々時雨れた寒く、昨日はコートをクリーニングに出さて失敗した。円山公園を通ってお墓の階段の下でお参りさせてもらい。大丸へ行き主人のマスコットタイやショルダーバッグ、私の帽子等、二割か一,五-割引きで買えた。地下で君子叔母さんにお渡しするお菓子買ってから、文化博物館である人形展を観に行った。入口に丁度君子叔母さんがおられて、私達が行った事をとても喜んで下さった。素晴らしいお人形さんを沢山魅せて頂き、夕方五時半頃、叔母さんが菊香荘迄送ってと言われたので送らせて頂き、色々お土産頂き弓子ちゃんにもお会いして家に六時半頃帰ったら、主人が帰っていた。主人は長覚寺さんのお彼岸会にお参りしてから、お墓へ行ったらしい。久し振りに娘達と出かけられて嬉しかった。

  • 三月二十日(月)晴れ
     良いお天気になったが寒かった。昼から夕方迄なぜかうつらうつらと眠くて居眠りばかりしてしまった。東京であちこちの地下鉄利用していた人達が倒れて、その病状や残留空気がサリン原因と分かり大騒ぎとなった。無差別殺人をねらって複数の人がした事ではないかと言う。恐ろしい事が起きた。

  • 三月二十一日(火)晴れ
     希代子は昼から出かけたが、寿代は久し振りに一日家にいてくれたので助かったが、今週末から又、スキーやディズニーランドへ続けて行くらしい。四月からは正式に出勤となるので、今のうちにとばかり遊びに行くのはわかるが、毎日店屋物になるし困る。

  • 三月二十二日(水)晴れ
     色々と問題のあるオウム真理教が警察の強制捜査をされ、拉致事件と共にサリンの証拠物件を捜査するらしい。これで事件の解明がされるとよいが。保木さん御夫婦が、お墓参りに行かれる前にうちに寄って下さり御菓子を頂いた。こちらからは、苺をお渡しした。

  • 三月二十三日(木)
     今日は良いお天気だったので、ヘルパーさんが主人のお布団干して下さて助かった。

  • 三月二十四日(金)曇り
     寿代が休みだったので、リハビリセンターへ連れて行ってもらった。先月CTを撮って頂いた結果、リウマチ性の肋膜で膝が少し厚くなっているが心配ないとの事ホッとした。主人は、今日大阪場所の相撲見に行ったのでテレビに写るかと目をこらして見ていたが、全々写らなかった。十一時頃帰って来たので、そう言ったら二階のます席だったらしい、二階でも一人五万円程するとは驚いた。御土産楽しみにしていたのに、以前、稔さんから両国へ見に行った時の、御土産に比べるとたいした事なかった。やっぱり両国は地元だから違うのかも知れない。でも主人は楽しんでこられた様子で何より。

  • 三月二十五日(土)雨
     希代子はお習字の練成会。寿代はおばあさんとこ行って買物して、昼からお友達とデザートバイキングに食べに行き。今夜の夜行でスキーに行き、今時分なだれの起き易い時期だから心配。

  • 三月二十六日(日)曇り
     気になっていや髪を、カットしてもらいすっきりした。相撲千秋楽で曙が優勝し、正隆相手に主人は相撲解説をして楽しそうだった。

  • 三月二十七日(月)晴れ
     昨日朝よりトイレの流れが悪いと思っていたら、今朝とうとうつまってしまい、ヘルパーさんに電話番号教えてもらって、修理屋さんに来てもらってらナプキンが五個もつまっていたとか、恥ずかしいやら後悔するやら、代金も三万四千円支払うはめとなり勿体無い、これからは絶対流さないようにし、娘達にも言っておかなくては、三万四千円不注意から出すことになり本当に痛い。今月は寿代と希代子の服の他に主人や私の物等色出費が多かったので、来月は引き締めなくては、寿代も社会人となり小遣いがいらなくなる分預金しなくちゃ。

  • 三月二十八日(火)曇り
     今朝五時頃、寿代はスキーから帰り、九時半頃今度はディズ―ランドへ行った。人気スターじゃあるまいしよう行くわ、そんなにして迄遊びたいのと怒りたい処だが、一方では羨ましい気持ちと今が青春なんだ、大いに楽しみなさいと云う気持ち。おばあさんは最近とんと食欲がなく話も殆んどしない、胸に点滴していたが何の点滴かしら。保木さんから先日おはぎ持っていかなかったからと、おはぎをことづけて下さったと思ったら、桜餅とよもぎ餅と焼餅だった。おいしかった。保木さんに気を使わせてしまい申し訳ない。

  • 三月二十九日(水)
     生協のヘルパーさんに来て頂き、お掃除や買い物に連れて頂き助かった。

  • 三月三十日(木)雨
     一日雨降り。寿代は八時前位に帰って来た。一日遅れていたら雨に逢う処だったが、雨にも逢わず楽しく遊べたらしい。警察庁長官が銃で撃たれ重傷をおった。最近目的が分からない恐ろしい事件が続き、安全な日本のイメージが壊れて来た。今年一年、まだどんな事件が起こるのか怖い、早く事件が解明されて欲しい。いつ自分の身に振りかかってくるかも知れない。

  • 三月三十一日(金)曇り
     寿代は今日で歯の治療終了。長年気にしていた歯並びがきれいになって喜んでいる。川島先生に御礼の電話をしてセラミックの挿し歯の支払い方法をお尋ねしたが、今度主人に会った時にお話しますとの事、大体二十万程にして下さるらしい。
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