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【日記の原本】 |
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第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める |
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- 平成五年一月元旦(金)
今年より日記をつけることにする。何事も続いた試しがないので自信ないが頑張ろう。昨年は、おばあさんも私も入院生活が長かったが、皆揃ってお正月が迎えられ嬉しい。今年は 誰も怪我や病気をしない様、無事に過ごせます様に、これが最高の願いだである。希代子・寿代 松尾神社へは初詣。
- 一月二日(土)
福井の友人洋子が、昨年十二月二十日に屋根から落ちて腰と助骨痛めて入院中との年賀状を見て電話する。動けぬほどの大怪我ではないらしいが腰が痛く歩き辛いらしい。ゆっくり養生して早く元気になって欲しい。
寿代観光バスで京の名園巡り。希代子は今宮神社初詣。
- 一月三日(日)
主人今日より仕事開始。元気で仕事が出来ます様に、私は毎日のんびり過ごさせてもらい申し訳ない。
- 一月四日(月)
夕方、五時半より小堀仏具店様の新年会に私も出席。 小堀夫人、江里夫人と同席で、八、九年ぶりにお会いしたが、どちらも若々しくはつらつとしとおられた。私が出席させて頂いたことを、とても喜んで下さった。皆様主人に挨拶に来てくださりご機嫌だつた。
- 一月五日(火)
今日からヘルパーさんきてくださる。希代子・寿代スーツかって来る。春らしいシックな色合いで気に入った。
- 一月六日(水)
幸子姉さん来て下さる。希代子と寿代に一万円ずつお年玉頂くクッキーも頂く
- 一月七日(木)
昨晩、ニュースで皇太子様と、小和田雅子さんが婚約内定の報あり、やっと決まったかと安堵の思い。昨晩も今日もその報道に明け暮れた。小和田さんはすごい才援らしく、きりっとした美人だが控えめな方らしく、皇太子妃にぴったりだと思う。
- 一月八日(金)
今日は、ディサービスに行く日だったが、今朝からおばあさんがお腹が痛いとの事でお休みにした。看護婦さに、電話でお聞きして胃薬を飲んでもらったら、しばらくして治まったらしく、御昼御飯食べてパンも食べたいと食欲もあるし、お通じも普通にあつたので一安心、看護婦さんが心配して二度もお電話下さった。暮れに送った 短歌九首の添則が送られて来た。全部Bだった、自分でも出来が悪いと、思っていたので予想通りだったが、最近ちっとも歌がひらめかなくて困ったもんだ。
- 一月九日(土)
今日から、土曜日もヘルパーさんが来て下さる事になり助かる。長純子ちゃんより電話頂く、現状維持を保っているらしいが、立ったり座りする時膝の痛みには閉口するらしい。若いから、人口関節入れるには早いのでなんとか痛みが柔らぐといいのに、私が最近体調が良いことを云うと羨ましがられた。
- 一月十日(日)
昨夜、松浦さんが来られて二人で話がはずみお酒飲み過ぎた為、主人は朝からトイレにいてばかり、飲み過ぎたら翌日ちゃんとつけが回って来るのを何度も経験しているのに抑制がきかず、私の言う事など耳も貸さず困った人だ。夕方より、ライオンズの新年会なので心配。
- 一月十一日(月)
毎日、テレビで皇太子妃に内定した大和田雅子さんの報道をしている。見たい気持はあるがプライバシーを侵害しないよう自粛してほしい。
- 一月十二日(火)
午後、西京都病院の先生と看護婦さんが来て下さった。今日は、検血して頂いた。足の
むくみと血液循環が悪い以外は、どこも悪い所がなく元気なので助かる。
- 一月十三日(水)
昼頃、幸子姉さんが来て下さった。おばあさんに、何か欲しい物とかして欲しい事あ
ったら言ってと言われたが、何もないあんたが時々顔見せてくれたらいいと言っておられた。最近本当に、おとなしくなってあの気の強かった人がと思うと、気楽な反面可哀そ気がする。郵便局から昨年入院していた時の、保険持って来てもらい、社会保険からも高額医療の支払い通知が来て、お金に余裕が出来て嬉しい。
- 一月十四日(木)
今年になってまだ一度しかお風呂に入ってないので、そこら中がかゆくて気持ち悪い。娘達はなんやかやと忙しいので、つい遠慮していつもこうなってしまう。電気な時は潔壁なぐらい清潔好きだったのに汚くて情けない。今日はやっと寿代に入れてもらってすっきりした。
- 一月十五日(金)
今日は、正隆の成人式。西京極体育館で午後の部に行ったが、希代子の時のようにうき
うきして写真とって見送る事もなく男の子はあっさりしたものだ。
- 一月十六日(土)
仕事帰りの電車の中で、希代子と主人が会って上桂駅近くの居酒屋に寄って主人は御機嫌で、例によって大きな声でしゃべって恥ずかしかったと希代子が言っていた。しばらくしてべロンべロンに酔って帰って来た。
- 一月十七日(日)
西京極で全日本女子駅伝があり、京都は六連覇ならず一位
は大阪・京都は二位だった。最下位の富山のアンカーは四十四才の女性で最後まで一生懸命走っていたのが印象的だった。
- 一月十八日(月)
夜、NHKのプライム10の「命燃やす日々」という筋縮
症患者のドキュメントを見た。難病と闘い乍、僅かに残った機能でワープロを打ち、全国に沢山いる難病患者達を励まし自らも常に前向きに残された時間を大切に生きている、川口さんと云う方の事だった。時々テレビ等で、病いに冒されたり、ケガ等で身体障害者となられた方の生き方が放映されるのを見て、みんな一度は死にたくなる程の苦しみを経て、一筋の光明を見たように立ち直り、真剣に生きている姿を見る度、自分は恵まれた環境の中にいながら、だらだらと時間を無駄に使っていることが恥ずかしくなる。私には、まだまだ残された機能がたくさんあるのだから、それを生かして何かのお役に立ちたい。子供達には、何もしてやれないがせめて不自由な身体でもお母さんは、一生懸命いきているという所を見せたい。心の中ではいつもそう思っているのに具体的にどうしたらいいのかわからない。短歌を作っていつかは、皇居の歌会に招かれたいなんて、とんでもないことは思ったりするが、その短歌ももう一つ納得するものがつくれなくてスランプ状態だ。悶々と考えてるより、何しろ出来ることから始めることだ。
- 一月十九日(火)
今日は、皇太子様と小和田雅子さんの婚約が皇室会議で決定し、お二人の記者会見があった。御二人共、記者団の質問に素直に丁寧にお答えになり、さすがだと感銘した。特に皇太子様の人間性には感服し、雅子様さんが皇太子様のお気持ちに打たれて、決心なさった事がよくわかり、ベストカップルが誕生されたことは本当に喜ばしい事だ。主人も仕事から帰り、テレビで何度も記者会見の様子を見て、感動していた、素直に喜び感動している姿を見て、主人も中々いいところあるなあと思う。
全力で 守りますとの お言葉に 誠意込められ 男らしさよ
全力で 守りますとの お言葉を
世の男性に 見習って欲しい
プロセスを 大切にして 雅子さんを
射止められしは 誠意と熱
- 一月二十日(水)
今日は、大寒の名も通り、とても寒かった。何時も私は暖房のきいた部屋に殆ど一日居るのでさほど寒さは感じなかったが、外出している人達は大変だと思う、でも昔に比べたら年々暖冬になって水道が凍る程の寒さは滅多になくなった。寿代が、憲法の第九条とPKOの関わりについて文章を書いて、試験の参考にするからと言われ、簡単に書いて見たが、賛成・反対のどちらでもなく難しい問題だと思う。
- 一月二十一日(木)
アメリカの新しい大統領に、クリントン大統領の就任式がおこなわれた。ブッシュさんは外交には力を入れたが、自国の問題はおざなりになっていた、クリントンさんは国民の声を積極的に聴いて、自国の改善を計ろうとしているがどこ迄解決できるだろうか。日本との貿易等もどうなるのか、イラクの攻撃はいつ迄するのか気になるところだ。
- 一月二十二日(金)
今年初めてのディサービスに、おばあさん行けたので久し
振りにお風呂入れて頂けて良かった。この頃寒いが、一度も風邪もひかず元気でいてくれるので本当に助かる、訳のわからないことを言ったり したりするがあまりしゃべらないし、一人で歩けないのでじっと座っているし下のお世話ぐらいでそう手もかからない。でも娘達がいてくれるから出来るのであって、娘達がいなかったらとても家で見ることは出来ない。
- 一月二十三日(土)
寿代は今、試験中なのにアルバイトしているのと、家の用事であまり勉強が出来ないみたい。
- 一月二十四日(日)
相撲の千秋楽で曙が優勝し曙が横綱に、貴花田が大関に昇進することが決まった。曙は、ハワイから相撲協会に入って五年目のスピード出世だ、どんどん波にのってきたという感じだが、人一倍の努力もしてきたことだろう。それに比べ小錦は波から振り落とされた感じで影が薄くなってしまい、気の毒だがこれが勝負の世界、頑張るしかない。
- 一月二十五日(月)
寿代が三十日迄試験で、二月一日の午前中には絵本を作成しなきゃならないと言ので、親バカの私は少しでも手伝えればと、絵本の内容を考えて書いてみたがちっともおもしろくない。私にはアイデア性も発展性もユーモア性もないので、土台無理な話だと思うが 何とか寿代の手助けが出来ないものかと、頭悩ませるのが結局頭の体操にもなっていいのではないかと思う。
- 一月二十六日(火)
前から目のかすみはあったが、今日は目に幕がはったみたいでショボついてうっとおし
かった。今年に入って、お風呂にまだ二回しか入ってないので気持ち悪くて仕方がない、自分でお風呂に入れている時は、毎日入って毎日きれいに洗わないと気が済まないぐらいだったのに、なんと不潔になったものだ。自分でいやになる。
- 一月二十七日(水)
曙が横綱に貴花田が大関に昇進した。曙は明日、明治神宮で綱取りがあるので、雲竜型を九重親方に指導してもらったらしい。貴花田は、改名して親方の貴の花になった。ここ迄はおめでたい話だがその後、宮沢りえと結婚問題について話し合い、結局破談となった。夕六時にりえが破局会見をし、夜十一時に貴が会見した。貴がりえのことで相撲に集中できなくなり、りえと縁を切っても相撲に集中しようとした結果ではないかと思うが、周りが騒ぎすぎてこわしてしまったような気がして可哀想、それにしても婚約会見も、二十才と十九才にしてはしっかりしていると思ったが、破局会見もしっかりしていた。
- 一月二十八日(木)
寒波がやってきて今日は、全国的に寒く、あちこちで雪が降りこの辺も一日中降ったりやんだりの寒い天気だった。明日は、久し振りに病院行く日なのに寒いといやだな。
- 一月二十九日(金)
今日は病院へ行こうと思ったけど、おばあさ
ん着替えさせてディサービスに送り出し、私の着替えやら髪を整えていたら大変だし、遅くなるので薬だけもらって来てもらった。次回こそは、行こうと思う二ヶ月も休んでるから。
- 一月三十日(土)
インフルエンザの風邪が、猛威をふるってあっちもこっちも風邪で、休んでる人がいる
らしい。今の所、家では誰もかかってないが、誰かだかかっても困るのでどうぞうちにはきませんように。
- 一月三十一日(日)
今日は、めずらしく主人が一日家でゆっくりしていた、テレビ見て、お風呂に入って寝
てゆっくり休養出来てよかった。
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- 二月一日(月)
朝の五時迄かかって、寿代の学校の宿題の絵本
が完成したらしい、原作は私だが、希代子が字を書くのを手伝ってなかなかいいのが出来た。でもこれすごく過保護だと思う。夜寿代は志賀高原へスキー旅行に出発。寒波で雪がちらほらしているので、無事に着きますように。
- 二月二日(火)
朝起きて、トイレの窓から隣の家の庭を見たらすごい大雪、屋根に十五pぐらい積もっていた。一日降ったりやんだりのお天気で、京都市内で十五p以上積もったのは三十六年振りとの事、ヘルパーさんもバスを一時間も待っていたらしい。
- 二月三日(水)
今日は、いいお天気になって雪もだいぶ溶けた。夜、寿代から電話があり楽しくスキー
をしているらしい。五日の朝帰るとの事
- 二月四日(木)
今朝はいいお天気だったのに肩や肘が痛かった。痛い時でも椅子からは立てるのが有難い。
- 二月五日(金)
今朝五時に寿代は、スキーから帰って来た。行った日は吹雪で、滑りにくかったらしい
が、後はいい天気で楽しかったらしい。
- 二月六日(土)
先日の大雪から一転して、四月下旬並みの暖かさだとか。希代子は今日、卒論の口頭質問が終わり、学生としての勉強はこれで全部終了し、後は、三月十四日の卒業式を待つのみとなった、三月三十一日の入社式迄、暇だと言い乍、結構遊の予定があるらしくケッコーな事。
- 二月七日(日)
主人はライオンズの会で広島に一泊流行、委員長さんが辞められたので、主人が色々と段取りしたようだが、世話好きな所のある人だから結構楽しんでる様子。夜洋子に1電話、一月十一日に退院して一週間後には仕事復帰して、腰の痛みもなんとか治まったらしい。
- 二月八日(月)
希代子の友達が資産家の息子と、結婚するので引越しの手伝いを頼まれ羨ましがっていた、同棲していて、妊娠し慌てて式を挙げるらしい。今の若い人はそういうのはめずらしくなく、恥ずかしいとも思わないらしいが、うちの子供達はそんなことして欲しくない。
娘の友 子宿し結婚す 数年後 吾娘にも縁が あるかなきかな
- 二月九日(火)
日、月と主人はライオンズで岡山へ行き、御土産に備前焼の抹茶茶碗とさつま芋を買って来てくれたので、お昼にさつま芋を蒸してもらって食べたらとてもおいしかった。
- 二月十日(水)
夜中の三時頃、おばあさんが杖をついて 部屋を歩き回っていたらしく、希代子が気づいて寝さしてくれたので助かったが、最近椅子からじきに立って歩こうとするし、夜中にオムツをはずしてパジャマもシーツもグショグショになっていることが 度々あって困ったものだ。元気なのは、本当に助かるがこういう事が続くと娘達が大変だし、おとなしく寝ていて下さい。
- 二月十日(水)
夜中の三時頃、おばあさんが杖をついて部屋を歩き回っていたらしく、希代子が気づいて寝さしてくれたので助かったが、最近椅子からじきに立って歩こうとするし、夜中に、オムツをはずしてパジャマもシーツもグショグショになっていることが度々あって困ったものだ。元気なのは本当に助かるがこういう事が続くと娘達が大変だし、おとなしく寝ていて下さい。
- 二月十一日
今朝は、身体が動きにくいなと思っていたらだんだん肩や首が痛くなり、身体中がぐったりして三時頃から少しずつ痛みがやわらいで来た。時々こんな状態になるのは何んでなのかな。
- 二月十二日
今日は、三ヶ月ぶりにリハビリセンターに診察に行って
来た。稲垣さんと保木さんにお会いした。森さんと北山さ
んの御見舞に伺ったら、児島さんも股関節の手術をして入
院しておられた。植田先生は、三月二十日過ぎぐらいに民
間の病院に移るらしい。子供さんが十月に生まれるので給
料の多い所にいくそうだ、PTの先生っていうのは給料が
安くて見た目程楽ではないらしい。
- 二月十三日
確定申告の為、一年分の医療費を計算したらおばあさんは五十七万、私は六十八万程かかっていて、入院すると随分かかるものだと感心するやら恐ろしいやら、今年は、どうぞみんな無事に過ごせます様に。
- 二月十四日
最近、主人は今年になってから仕事が忙しいのか、日曜でもテニスに行かず仕事に行くことが多い。他所へ飲みに行くのも随分減った。その分、家で大事にしてあげなくちゃと思っているのだが思うように出来ず、主人には申し訳ないと思う。
- 二月十五日
今日は、おじいさんの命日なので長覚寺様が来て下さった。お住職だけでおまいりしてもらい、毎度の事乍ら申し訳ない。
- 二月十六日
朝から、おばあさんが脇腹が痛いと言ってしんどそうだった。いつもならじきに痛みが治まり、食欲盛々なのに今日はなかなか痛みが治まらないので、昼から先生に往診して頂いた。熱もないし、血圧も正常で尿も普通に出ているので何故かよくわからないので、検査しましょうと云うことで急拠、入院することになり、病院の車で迎えに来てもらって、希代子がついて行ってくれた。心電図とレントゲンはとって下さったらしいがまだなんともわからないらしい。大事にいたらなければ良いが。
- 二月十七日(水)
今日は、病院へ幸子姉さんが行って下さったら、おばあさんとても元気になっていたらしい、ずっと点滴して絶食でまだ色々検査してみないと今の所よくわからないらしい。明日は、ヘルパーさんに病院へ連れて行ってもらうつもり。
- 二月十八日(木)
今日は、病院へ連れて行ってもらうつもりしていたが、ヘルパーさんの新年会でお休みだったこと忘れていたのでいけなかった。希代子が行ってくれたが、まだ点滴していたらしい、一階の看護詰所の隣の部屋の三人部屋に移ったとか、やっぱりオムツとかしていて手がかかるから移されたんだと思う。
- 二月十九日(金)
昼の一時半過ぎ、アメリカ旅行の為、希代子が出発した。夕方六時半発の飛行機でサンフランシスコからモントレーに行き、留学している友人のアパートで二泊させてもらい、サンフランシスコで二泊して木曜日の夜帰国の予定だ。海外でいろんな事故、事件があるので帰って来る迄心配だが、どうぞ無事で楽しい旅が出来ます様に
- 二月二十日(土)
おばあさんの御見舞に、初めて連れて行って
もらった。顔色もよく元気そうだったが、お腹は押えるとまだ痛いらしい。看護婦さんか先生に様子お聞きしようと思ったが、詰所は誰もおられなかった。どの程度迄検査が進んでいるのか気になる。三時頃、希代子から電話があった。夜の十時頃だと言っていた、飛行機の着陸の時に気分が悪くなって吐いたらしい、少し元気がなかった。とても近くで聞こえてはじめ寿代からかと思った。
- 二月二十一日(日)
今日は一日雨降りだった。主人は伝産青年会でボーリングに行き、珍しく東寺の弘法さんに寄って神棚の道具とか、タビックスを買って来た。寿代はクラブもバイトもなく、おばあさんの所へ行った以外は家でのんびりしていた。
- 二月二十二日(月)
今日は幸子姉さんが病院に行って下さり、看護婦さんより、どこも悪くないから退院しても良いと言われたそうだ。どこも悪くなければ早く家に帰ってもらうにこしたことはない。
- 二月二十三日(火)
質美のおばさんより生椎茸の大きな物を沢山送って下さった。今日はお天気は良かったが、風が強くてとても寒かった。夕方より雪も降って来た。おばあさんは食欲もありとても元気そうだった、婦長さんに退院の事お尋ねしたら、先生に伺っておきますとの事。
- 二月二十四日(水)
今日も寒い一日だった。夕食は焼き肉食べに行こうと云う事になり、南大門へ行った、やはり家で食べる焼肉と違いおいしかった。
- 二月二十五日(木)
十一時半に、病院の先生がお会いしてくださるとの事でいったら「どこも悪い所はないがなぜ痛くなったのか、原因が分からないので、家に帰って又、痛なったら困るのでもう一週間様子を見させて下さい」との事だった。夜、七時半頃アメリカより希代子が無事帰って来た。色々土産話をしてくれたが食べ物がしつこくてまずかったり、ホームレスがウロウロしていて気味が悪く、やっぱり日本がいいと日本の良さを再認識したらしい。もちろん楽しいこともたくさんあったらしいが、気候が今の日本とあまり変わりなく寒くて、お天気もそんなに良くなく、花の咲いてる頃だったらきれいだったかもしれないとの事。御土産は、主人にネクタイ、正隆にTシャツ、寿代にTシャツ、口紅、色ペン、折り紙等、自分にはスカーフ、バッグ、家にチョコを買って来てくれた。稔さんにはウイスキー、幸子姉さんに口紅とワイン、岩田さんにはチョコをお渡しする事にした。
- 二月二十六日(金)
生理になった。最近二十日周期ぐらいに来て、月二回の時もあり量もおおくて、プレドニンのせいか、もうすぐ上がってしまうのか、上がる時はあったり、なかったりするらしいから、やっぱりまだ早いのかな、早くなくなって欲しい。
- 二月二十七日(土)
土曜日の晩は、テレビで平成教育委員会とマジカル頭脳クイズがあり楽しい今日は、割とさえていてよく当たり面白かった。
- 二月二十八日(日)
昨夜は、体振の会合で主人は飲み過ぎたのか、一日休んでいた。胃が悪いのか戻したりして、肝臓や胃を悪くしないか心配。
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- 三月一日(月)
今日からもう三月。でもここ数日は、冬型の寒い日が続いている。幸子姉さんが、耳のお医者さんへ行くからとのことで、ヘルパーさんに病院へ連れて行ってもらった。食欲もあり元気にしておられた。
- 三月二日(火)
今朝は、雪がうっすら積もっていた。昨夜、苺食べようとしたら、歯がズキッと傷んだ。以前に虫歯で治療してもらった所らしく、治療に行くなら希代子が春休みのうちに連れて行ってもらわないとと思うが、車椅子なので総合病院迄、連れて行ってもらわなきゃならないのでおっくうだ・
- 三月三日(水)
今日は雛祭り、お雛様をださなくなって七、八年になる。何年も暗い所に閉じ込めらたままの雛人形に毎年心の中で詫びている。主人が、最近身体中がかゆくなり肝臓が悪いのかも知れないので、病院へ行くようすすめ、仕事帰りに武田病院へ行って来た 血液検査の結果は、一週間後に聴きに行くそうで今のところ原因はわからないとの事。先月ライオンズで、献血した時の検査結果が送られて来たが、全部正常値範囲内だった。
- 三月四日(木)
おばあちゃんに、桜餅とよもぎ餅持って行ったら喜ん
で下さった。病院へ、行っている留守に、君子叔母様が来て下さったらしく、折角久しぶりに来て下さったのに気の毒なことをした。
- 三月五日(金)
桂病院の歯科へ行って、診てもらい虫歯を抜
いてもらおうと思ったが、抜く程のことはないそうで、お薬を塗って下さってうがい薬をもらっただけで覚悟していった割には大したことなかった。
- 三月六日
今日は良いお天気で暖かく、病院へ行く道すがらそこそこから、沈丁花の香りがして春が来たことを実感した。
久びさに 外出すれば そこそこに 沈丁花香り 春くるを知る
- 三月七日(日)
今日から九日迄、希代子は四国へ旅行にいった。不況で就職内定取消のある中、三月三十一日より初出社できる安心感と、無事卒業出来る喜びで何の心配もなく友達と旅行できて、本当に幸せだと思う。私がしたくても出来なかったことが、安々と出来て羨ましくもあり、私の代りに多いに楽しんで欲しいと思う。
- 三月八日(月)
今日は又、寒い日だった。昨夜、ニュースで仏大の女子大生がメキシコを旅行中、強盗におそわれ殺されたと聞きびっくりした。お友達とアメリカを一ヶ月旅行した後、別れて一人でメキシコへいっての災難だったらしく、この前、希代子がアメリカから帰ったばかりだったので人事と思えず、御両親の悲しみが痛い程よくわかり、よくぞ無事に帰ってくれたと感謝している。
- 三月九日(火)
今朝から寿代は、クラブの合宿で湯の花温泉へ出かけた。夜、希代子が四国から帰って来て。いいお天気で楽しかったらしい。メキシコで殺された子はお友達の知人らしい。
- 三月十日(水)
昼からおばあさん元気に退院して来られた。しばらく寝たっきりだったので歩けるか心配していたが、入院前と変わりなく安心した。娘達が又忙しくなるが元気でさえいてくれたらそれ程手もかからないし、娘達よ、よろしくお願いね。
- 三月十一日(木)
今日は私が桂病院の歯科へ行く日で、希代子が昼から外出するからとバタバタして病院へ連れて行ってもらったが、すぐ診てもらえて五分程で治療終わり、なんだか拍子抜けした。フルにパンと牛乳とリンゴを食べて、しばらくして二時半頃、おばあさんが急に戻して服がドロドロになり上だけなんとか着替えさせて、どうしたものか、心配していたら三時半頃、寿代が帰って来て、やれやれ着替えさせてもらおうと思った矢先に又吐いて、顔色も悪く、お布団で休んでもらって二時間程したらもうしんどいのは治ったと言っていたが、訪問看護婦さんに電話したら明日朝伺いますとの事、明日は私の診療日だけどやめて、お薬だけもらって来てもらおう。
- 三月十二日(金)
午前中、看護婦さんが来て下さって、おばあさん診て頂いたが、血圧も正常、熱もないし、元気にしているし、環境の変化かも知れないという事で大したことなく良かった。今日は私が、リハビリセンターに行く日だったので、以前、稲さんと約束していたので、来て下さっていておかきを頂いたと希代子から聞き、うっかり忘れていて申し訳ない事をした。晩にS電話してあやまった。
- 三月十三日(土)
今度はおばあさんの尿の出方が極端に少なく、又看護婦さんに来て頂いたが、単に出にくくなっているだくで悪い所はないらしい。
- 三月十四日(日)
今日は、仏大の卒業式。希代子は振袖を着て出席。三時前に帰って 今度は服に着替えて謝恩会に行った。立派な卒業証書とアルバムを見せてもらい、無事卒業出来た喜びと、これで十六年間の学生生活も終わり社会人になるとの感慨新たになった。
- 三月十五日(月)
今日は、朝から一日中雨で希代子の卒業式が前日で良かった。だけど紀ちゃんは、今日が卒業式で大変だったと思う。明日は、公立高校の発表だ、うちはもう三人共受験から開放されて気が楽だ。
- 三月十六日(日)
紀ちゃんより電話あり、北嵯峨の二類受けたのに、堀川の一類に回されたらしい、一類の方が勉強に追い回されず高校生か手がエンジョイ出来ると思う。
- 三月十七日(水)
夜、正勝兄上より電話があり、園子姉さんのお母さんが急死なさったとの事、十九日の十時からお葬式という事でびっくりした。園子姉さんも知らせを受けてすぐにかけつけたらしいが間に会わなかったらしい。八十四才という事なのでまあ大往生かも知れない。
- 三月十八日(木)
昨日、主人の検査の結果、慢性膵炎の可能性があり、四月八日に一日入院して再検査をするらしい。大した事がなければ良いが、主人にはまだまだ長生きしてもらわないと、皆が路頭に迷ってしまう。
- 三月十九日(金)
歯科治療は、一応今日で終わりやれやれ、まだしばらくは入れ歯の世話にはなりたくない。朝、十時から三好さんのお母様のお葬式があり、主人と幸子姉さんが一番にお焼香させてもらったそうだ。
- 三月二十日(土)
昼前、正勝兄様が寄って下さった。希代子のアメリカ旅行の話に花が咲き、おばあさんのトイレの世話を見られて子供達に御礼を言って下さった。
- 三月二十一日(日)
御彼岸なのに誰もお墓詣りに行く者がおらず、お先祖様に申し訳ない。ッ主人は朝から桂川体振のテニス大会があり、三時頃帰った。
- 三月二十二日(月)
紀ちゃんの入学祝いに、ブラウスとカーディガンを寿代のバイト先で買って来てもらった。夜、千葉のお姉さんより電話があり、安島の家が一応住めるようにトイレも台所もシャワーもつけたし、大体の物は揃っているからいつでも行って下さいとの事、これで安心して安島へ行けると思うと嬉しい、少しだけでも修理費出させて頂こうと思う。
- 三月二十三日(火)
昨夜寿代は夜行バスでディズ二ィランドへ行った。今日はいいお天気で暖かくいい一日だったと思う。おばあさんも、お米買うついでに散歩に連れて行ってもらった。
- 三月二十四日(水)
今日は昼から雨降り、昨日私達のお布団干しといてもらってよかった。
- 三月二十五日(水)
昼から令子ちゃん親子来訪。希代子に入学祝いもらう。紀Sたんには寿代はのバイト先で買ったブラウスとカーディガンあげた。堀川高校は正副がないので洋服はいくらでも欲しいと思う。
- 三月二十六日(金)
久し振りにリハビリセンターに行き、レントゲンを撮ってもらった。胸はきれいだが、腕の骨はやっぱりついていなかった。九か月以上つかなかったら、もう骨がつく可能性はないらしい。希代子がお友達から頂いた布で座布団カバーを作ってくれて、春らしくなった。夕方、君子叔母様が来られて希代子に、入学祝いにハンドバッグを下さった。岩田さんから頂いた娘さんの服、君子叔母様に見せたらピッタリで喜んで持って帰って下さったのでよかった。
- 三月二十七日(土)
午後、園子姉さん来られる。お母様の後の色々な幼児が一応終わり明日法事を済ませて帰られるそうだ。これからは京都へ帰られてもお母様がおられないと寂しいと思う。
- 三月二十八日(日)
今日は雨日理でテニス休みなので、主人は仕事に出かけた。娘二人も夜八時頃迄帰らなかったので、夕食は主人がほか弁を買って来てくれた。申し訳ないようななさけないような気持ち。
- 三月二十九日(月)
昨夜から風が強く、雪交じりの雨が降り、冬に逆戻りしたような寒さだった。今日はヘルパーさんお休みなので幸子ねえさんに来て頂いた。朝食後よりおばあさんお腹が痛いと言ってお昼ご飯いらないと言って、横になっていた。しばらくしてお腹の痛みは治ったようだ、夕食はいつものように食欲があったので心配なさそうだ。
- 三月三十日(火)
今日は昨日と変わり、良いお天気で暖かくなったのでおばあさんを散歩に連れて行ってもらった。午後、先生と看護婦さんが来て下さったが別に悪い所はないらしい。
- 三月三十一日(水)
今日から希代子は、初出勤で一泊研修があるので大きな旅行カバンを持って行った。明朝は、五時起床で座禅があるらしいが、居眠りしないか心配
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