旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
  昭和六十二年  7月〜9月 11月〜12月
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  平成十六年 10月〜12月    
  平成十七年 1月〜12月     
  平成十八年 1月〜9月
  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成六年七月一日(金) 曇りのち晴れ
     今日はヘルパーさんに桂病院の眼科に連れて行って頂く予定だったが、おばあさんの事が気になるので、西京都病院へ連れて行って頂いた。麻酔は醒めていたがその分足が痛い痛いと言って、手術してない足の方を曲げたり伸ばしたりしてつらそうだった。明日ぐらいになれば少しは痛みましになるかも知れないが、早く痛みが治ります様に。

  • 七月二日(土)晴れ
     今日は最高に蒸し暑かった。真夏並みの暑さで夜も暑かった。君子叔母様よりお電話頂きおばあさんの骨折の事聞かれたので、誰にお聞きになったかと思ったら、正勝兄さんより日曜日に同窓会に出席する為、京都に行くが一人で行くので山科では泊まれないので、菊香荘で泊めて下さいとお電話があったそうだ。園子姉さん来られないと聞き、幸子姉さんからも来てもらうようにと言われていたので、思いきって園子姉さんに二・三日でよいから来て下さいと電話したら、わかりましたと言われ明日来て下さることになった。君子叔母様がメロンと西瓜とききょうのお花持って来て下さり、御見舞に行って下さった。

  • 七月三日(日)晴れ
     正勝兄夫婦が十一時過ぎに来て下さった。早速病院へ行って下さったらもう痛みもなく元気にしてたそうだ。病院の帰りに水無月買って持って来て下さった。子供達に、ヨーロッパ旅行の御土産のTシャツを下さった。それと下着類を頂いた。

  • 七月四日(月)晴れ
     最近右膝が痛くて、曲げたり伸ばしたりが痛い、伸ばすのが特に痛い。おばあさんは痛みもないので、立って歩こうとして足をくくられていたとか、元気になって良かった。

  • 七月五日(火)晴れ
     今日まで園子姉さんが、病院へ行って下さるので、私は桂病院の眼科に連れて行って頂いた。快晴で最高に暑く、車椅子押して下さる、石津さんに気の毒だった。園子姉さんに、お漬物御土産に持って帰って頂いた。

  • 七月六日(水)晴れ
     今日は幸子姉さん、病院に行って下さったのでヘルパーさんにおばあさんの部屋のカーテン等洗って頂き二時間で帰って頂いた。夜、希代子と寿代が正隆のアパート見に行ったら、きれいに片付いていたらしい。

  • 七月七日'木)晴れ時々曇り
     二時頃ベッドを持って来て下さり、さくも高いしこれでベッドから降りる心配はないと思うものの、結構力があるからはずしてしまうかしら。

  • 七月八日(金)曇り
     生協のヘルパーさんの藤本さんが、日蔭げ用の帽子を持って来て下さった。不用品だからお金はいらないとの事。二年前に二十四才の息子さんを、交通事故で亡くされ一年間は泣いて暮らしたが、やっと立ち直って何かを始めようと思い、生協のヘルパーに応募して今日が、初仕事という事で二時間オーバーしたが、一生縣命お仕事覚えようと云う意気込みで良くして頂いた。

  • 七月九日(土)曇り
     村山首相が、ナポリのサミットの晩餐会で具合が悪くなり、病院で点滴中とか、向井千秋さんが宇宙に出発したり、北朝鮮の金日成主席が死亡したりと、大ニュースが続いた。

  • 七月十日(日)晴れ
     岩田さんから、ビールの御中元を送って下さったので、御礼の電話させて頂いた時、主人がここ数カ月間日曜も仕事に行って、毎朝早く出かけてることを言ったら、日曜も行っていることは御存知なかったらしく驚いておられた。本当によくきばっているので、疲れが出ないか心配。時々胸を押さえたりしているのが気になり、病院で診てもらうよう勧めても聞き流されてしまう。

  • 七月十一日(月)晴れ
     西京都病院行く時に、君子叔母さんと幸子姉さんとみさお叔母さんに御中元を、生協より送らせて頂いた。

  • 七月十二日(火)曇り時々晴れ
     昨日梅雨が明けたので、これから増々暑い日が続くと思うとうんざり。稲さんと嶋さんに生協のヘルパーさんのことを、教えて上げたら稲さんは、それはいいこと聞いたし生協に聞いてみると言われた。嶋さんはお姑さんがよくして下さるので今の所は、不便なことはないらしい。

  • 七月十四日(木)晴れ
     お尻の床ずれが化膿しているせいか、股関節が痛くてバイ菌が回っていないか気になる。

  • 七月十五日(金)晴れ
     リハビリセンター行き、床ずれの所切開されたら入院と、言われるかも知れないと思っていたが注射針で、うみを吸い出しただけで又、様子を見せに水曜日に来て下さいと云うことで家に帰ったが、身体中がしんどくてぐったりしていた。

  • 七月十六日(土)晴れ
     一時過ぎに長覚寺様が来られて帰られてから、しばらく横になっていたら少しましになった、でもうみが出て来ず中にたまって増々赤く腫れ上がっているらしいので、一枝先生にお電話したら月曜日に来て下さい。切開したらしばらく入院しなければならないが、月曜日に入院出来るかどうかはわからないとの事。どっちみち入院しなければならないのでまずいことになった。早く退院出来るといいけど。

  • 七月十七日(日)晴れ
     園子姉さんより電話頂き、二十三・二十四・二十五と三日間正勝兄さんが、出張されるのでその間、京都に行きましょうかと言って下さったので、明日入院になるかも知れないのでよろしくとお願いした。君子叔母さんからも電話頂いたので、その旨お伝えした。幸子姉さんにもその旨言ってお願いした。夕方、入院前夜だからと主人が、誘ってくれたので皆で合掌亭でお腹一杯食べた。帰ってから入院の用意をしていたが、郵便局への預金や銀行、生命保険の満期のこと等があって気になるが、明朝電話して寿代のいる時に来てもらわなくては。床ずれの範囲が大分広そうなので手術がこわい。横向きに長いことなれないのもこわい。無事にすみますように。

  • 七月十八日(月)晴れ
     リハビリセンターで切開してもらったが、部屋が空いてないので入院は、一週間程待ってほしいと言われ仕方なく帰り、指示されたように西京都病院の訪問看護課へ電話してガーゼ交換に、毎日来て頂けるようお願いした。

  • 七月十九日(火)晴れ
     訪問看護の内山先生が来て下さった。ヘルパーさんにも来て頂いて清拭お願いした

  • 七月二十日(水)晴れ
     土用の入りで。あんころ売りに来られた。以前だったら甘い物三つぐらいは平気で食べたが、最近二つ食べたら欲しくなくなる。

  • 七月二十一日(木)晴れ
     幸子姉さんから、おそうめんが届いたと、御礼の電話頂く。

  • 七月二十二日(金)晴れ
     リハビリセンターより二十七日に入院して下さいとの事、大分先になった。

  • 七月二十三日(土)晴れ
     今朝早く希代子は、伊勢の方へ海水浴に行った。台風の影響で波が高いらしいが大丈夫かな。

  • 七月二十四日(日)晴れ
     昨夜からともちゃん泊まり込んで寿代と二人夜中遅く迄、フリーマケットの準備をして今朝八時頃出かけ、夕方六時半頃帰って来て売上の計算をしていた。ともちゃんも寿代も1万ちょっとぐらいあったらしい。半分程売れ残ったが又の機会に出すとか、日に焼けて又黒くなっていた。

  • 七月二十六日(火)
     京女大で保母試験が今日と明日あり、大阪のも十月でないと結果わからないらしい、どちらか受かってるとよいが。

  • 七月二十七日(水)晴れ
     令子ちゃんに来てもらって、入院の用意して病院へ来た。担当は岡本さんで部屋は二号室。昼頃君子叔母さんと入れ違いに、令子ちゃんに帰ってもらった。昨日牧野さん退院して午後から透析に連れて行くそうだ。

  • 七月二十八日(木)晴れ
     手術は来週の木曜日にして、二週間で抜糸との事、退院はお盆過ぎるなあ。

  • 七月二十九日(金)晴れ
     寿代が明日イギリスへ発つので、病院に来てくれた。朝早く出るそうだ。帰国は七日夜らしい。無事に帰りますように。

  • 七月三十日(土)晴れ
     昼過ぎ希代子が来てくれた。おばあちゃんとこ行ったら、幸子姉さんが来て下さってたらしい。寿代が帰って来る迄、希代子も大変だ。夜病院から花火が見えた。何度病院で花火見た事だろう。

  • 七月三十一日(日)晴れ
     昼前、令子ちゃんが来てくれた。訓三さんのすぐ上のお兄さんの奥さんが、脳腫瘍で後3ヶ月の命だとか、高一の娘と小四の息子がいるのに本人は病気のことは知っているが、余命のことは知らないらしく、高一の娘に打ち明けるべきか悩んでいるらしい。午後から御見舞に行くそうだが、何といったら言いかわからないと思う。午後、近藤さんが退院され、他の人も外泊しているので一人になった。希代子が来てくれたのでお父さん愛宕山に行ったのか聞いたが、お父さんに会ってないから知らないそうだ。仕事一段落ついたのかなあ。

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  • 八月一日(月)
     昼過ぎ村松さん来て下さった。一時っより所長回診。

  • 八月二日(火)晴れ
     昼頃、希代子が印鑑とタオルを持ってきてくれた。今日は代休とって大阪へシレラ(人魚姫の水中劇)を観に行くそうだ。手術の日の夕方は、正隆だ着てくれるそうだ。

  • 八月三日(水)晴れ
     明日手術なので清拭、シャンプー、爪切り、陰部清浄等して下さった。車椅子の申請をお願いしていたので、今日判定があり、室内用、室外用と造って下さる事になり有難いことだ。

  • 八月四日(木)晴れ
     手術の痛いのなんの、坐骨の近くまでえぐったそうで、坐骨にメスが当たった時の痛さと言ったらなかった。夕食は、正隆に。

  • 八月七日(日)晴れ
     寿代は、今夜イギリスから帰る予定なので、無事に帰ります様に。

  • 八月八日(月)晴れ
     寿代が久し振りに、元気な姿を見せてくれて。写真沢山見せてくれた。涼しくてとてもいい所だったらしい。

  • 八月九日(火)
     午後から七号室に移動、食事の時以外、ひたすら横になっているので、まだ病室の方とはあまり話していない。

  • 八月十日(水)
     令子ちゃん親子が来て、訓三さんのすぐ上のお兄さんの奥さんが脳腫瘍で八日に亡くなってお葬式も済んだと聞きびっくりした。四十一才の若さで主人と子供二人残して本当に気の毒だ。

  • 八月十一日(木)晴れ
     大便する時傷口が、汚れないようにサランラップでガードしたり斜め横向いてしたり大変、おまけに昨日より生理始まり最悪。

  • 八月十二日(金)晴れ
     令子ちゃんが、ホームヘルパーの講習を朝から受けて夕方終わって、疲れたと言って寄ってくれた。ヘルパーさんになるのもなかなか大変だ。

  • 八月十三日(土)
     昨夜、同室の荒木さんと前川さんが、お盆休みで家に帰られ、残ったのはまだベッドから降りられない広瀬さん、中井さんと私の三人で急にひっそりしてしまった。

  • 八月十五日(月)晴れ
     夕方主人来てくれる。十二日に広島の法瀧寺様へ仕事納めに行って十三日十時に帰る迄、二時間程しか寝れなかったらしい。でもそれで仕事が一段落したらしくよかった。今日は大阪へ行ってきたそうでお盆でも、ゆっくり出来ないみたいで身体に気を付けて欲しい。

  • 八月十六日(火)晴れ
     夕方子供達三人が、私の誕生日なのでケーキを持って来てくれた。昼から長覚寺様にお参りに来て頂き、子供達三人でおまいりしてお墓にも三人で行ってくれたそうだ、主人は午前中に行ったらしい。夕食は、生協の前に出来たスパゲチィのお店にいくとか。夜、皆大文字の送り火を観に行かれたが、私はここで三回も見せて頂いたので行かなかったが、今年は、お天気続きだったのでとてもきれいだったらしい。

  • 八月十七日(水)晴れ
     夕方、全部抜糸してくださり、もういつ退院してもよいとの事。寿代が来てくれたので、日曜日に退院しようかと言っておいた。

  • 八月十八日(木)晴れ
     抜糸してもらった所と、尾?骨の横の床ずれした所を、先生が診て下さってから、最終的に月曜日に診てから退院して下さいと言われた。

  • 八月十九日(金)晴れ
     昨夜はお尻に、円座貸して下さったので床ずれに当たらず楽に寝られた。傷の所にスポンジを当てて下さったが、便座に座って当たると痛い。家へ帰ってからも今度は、時々ベッドに横になってお尻を休めよう。紀ちゃんクラブ帰りに寄ってくれて、後から来た令子ちゃんと康ちゃんと一緒に帰った。

  • 八月二十一日(日)曇り
     寿代が昼過ぎ来てくれた。今朝九時半頃ディズニーランドから帰ったらしい。向こうでも雨がきつく降ったらしいが、夜のパレードも見られてよかったらしい。水曜日早めに迎えに来てもらう様にたのんでおいた。

  • 八月二十二日(月)曇り一時雨
     左のお尻の下あたりが、少しピリッとして来たので看護婦さんに、診て頂いたら皮膚がかさついてピッと切れているらしい。座っても寝ても床ずれしやすい皮膚でよっぽど気を付けなければ、何度も同じ事を繰り返し層でこわい。

  • 八月二十三日(火)晴れ時々曇り
     明日寿代何時頃来てくれるかな、早く来てくれないとベッドの移動があるから固る。

  • 八月二十四日(水)晴れ
     寿代が一時きっかり来てくれて、同室の方にそれぞれソックスをお渡しして岡本さんに小バラの花束御礼に、お渡しして退院した。やはり我が家はホッとするが、あちこち物はあるはほこりだらけで、又、やいやい言って片付けささなきゃ。

  • 八月二十五日(木)晴れ
     病院では、立ったり座ったりがしんどくて、トイレではふらついていたがやはり慣れた家では、動き易く安心した。只トイレで松葉杖をつくと、脇が痛くて入院前はあまり感じなかったのでそれだけ、脇に支えられてるってことは足も弱くなったということか。お尻の傷跡も長く座っていると、破れそうでこわい。夜、一ヶ月半ぶりにお風呂(シャワー)に入れてもらいさっぱりした。

  • 八月二十六日(金)晴れ
     稔さんが三時頃来られて、ビール飲んだりちょっと昼寝して、六時頃友人と待ち合わせしているからと五時頃出られて今晩は、工場に泊られるそうだ。明日お墓参りして帰ると言っておられた。

  • 八月二十八日(日)晴れ
     昼間、洋子に電話。夜勤があったりして疲れるらしいが、カラオケ等に行ってストレス、発散してるそうなよく頑張って洋子はエライ。いつか年いってゆっくり出来るようになったら、私が車椅子押して旅行するのが夢だと言ってくれた。いい友達を持って私は幸せ

  • 八月二十九日(月)
     久し振りにヘルパーさんに来て頂き、お掃除、布団干し、入浴させてもらいさっぱりした。その後、おばあさんの所へ行ったら食事は済んでいて入歯はずして座っていた。少しやせて一段年寄りになったみたい又、便をさわったのか指が黄色くなっていた。

  • 八月三十日(火)雨晴れ
     ヘルパーさんに、主人のお布団干してもらい、シーツやまくらカバーも洗濯して頂きさっぱりした。寝間でタバコやビール等飲むので、焼け焦げやこぼして布団や畳が臭くなるのに、ちっとも改める気がない。

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  • 九月一日(木) 晴れ
     早九月、しかし今日も暑かった。おばあさん昨日夕食0で、朝食は0・1、食欲が無く、気力も無い、お昼は看護助手の方が、半分ぐらいは食べさせて下さったが、果たして家に帰る時どんな状態で帰れるのやら。

  • 九月二日(金)晴れ
     生協くらしの助け合いの、岡本さんに電話して娘の夏休みが終わったら又、お願いしますとたのんでおいた。

  • 九月三日(土)晴れ
     寿代はバイト、希代子は英会話があって、おばあさんとこ行けないので、夕方早めに帰って来た正隆にたのんだら(希代子が)、素直に行ってくれて夕食も、食べさせてくれたそうだ。きっとおばあさん喜んでおられたと思う。私が頼むとすぐ反抗するが、お姉ちゃんに頼まれると割と素直に聞く、私はなんなんだ。

  • 九月四日(日)

  • 九月五日(月)晴れ
     おばあさんの所へ行ったら、廊下の椅子に座って点滴していた。若い看護助手さんは、一生懸命お世話して下さる。中年の人は要領よく手抜きしたりするが、私だってそんなことはする。

  • 九月六日(火)晴れ
     午後、髪をカットしてもらったら、美川憲一みたいになった。隣の今井さんのお孫さん、ヨチヨチ歩いて可愛く御主人が可愛くて、孫の守りばかりしておられるようだ。うちの主人も、孫出来たらあんなになるのかな。

  • 九月七日(水)晴れ
     寿代に、リハビリセンターに連れて行ってもらい、診察して頂いたが良くなってるなら、それでよろしいと、お尻は診られなかった。病室へ行って皆さんにお会いしたら、皆お元気そうだった、帰り北山でケーキ買っ、鴨川沿いを通ったが、水が少なく歩いて渡れそうだった。

  • 九月九日(金)晴れ
     きちっと生理なって二日目できつく又、下着汚してしまい着替えたが、ちゃんとはけた。最近少し調子いいみたい、長続きしますように。千葉のお兄ちゃんから梨送って来てくれたので、夜御礼の電話をした、お兄ちゃんが出て元気そうで何より。

  • 九月十日(土)晴れ
     希代子、おばあさんの所へ行ったが、全部出してしまい、お薬も出してしまったとの事。

  • 九月十一日(日)晴れ
     日曜でも相変わらず主人は仕事。正隆は三時頃、車に乗って友達と滋賀迄行ったらしい。

  • 九月十二日(月)晴れ
     おばあさんの所へ行ったら、寒いとガタガタふるえて胃液をもどし顔色も悪く、最近食事もあまり食べられていないので、看護婦さんも心配しておられた。三時頃、病院へ電話して聞いたら熱が八度五分程出たらしい。夕方、千草さんから電話あり、御主人が亡くなられた由六十二才だとか、入退院を繰り返しておられたらしい。あさっての十一時からお葬式とか、お父さん大津迄行かなきゃならないし大変だ。

  • 九月十三日(火)晴れ
     朝はおばあさん熱も下がって、顔色も良くなり少し元気になっていたが、検査があるししばらく絶食らしい。黒井の叔母さんから、梨を送って来てくださったので御礼の電話させて頂いたら、お嫁さんが出られて叔母さん畑仕事が出来る程、お元気になっておられるらしい。

  • 九月十四日(水)晴れ-
     幸子姉さんから電話あり、おばあさん検査の為しばらく絶食で、詳しいことは内科の先生に、聞いてくださいと言われたから、何時に会って下さるか電話し、会って下さった時、御礼を渡した方が良いととの事、いま、検査中だから三・四日してから電話してみよう。

  • 九月十五日(木)晴れ
     長覚寺様十時頃、お参りに来て下さった。敬老の日なのでおばあさんに、花籠を持って行ったら、自分の葬式の話ばかりしていたらしい。十月八日に京仏具工芸士の式典が、京都ホテルであるので受付と感謝状授与のお手伝いを、希代子と寿代にしてみないかと主人が持ちかけてたら振袖着られるし、喜んで引き受けた。新しくなった京都ホテルにもいけるし、売り込みの下心も親心としてはちょっぴりありいいチャンスだと思う。

  • 九月十六日(金)雨
     三ヶ月ぶりぐらいの、久し振りの雨の一日だった。琵琶湖も十センチ以上水位が回復したらしい。でもまだ九州や四国では断水している所もありそういう所は、なかなか降らず本当に気の毒だ。

  • 九月十七日(土)曇り
     希代子は東京出張、寿代はバイト、明日は友達と鎌倉行くとか、このところ毎日出かけて洗濯物干してもらえない。今日は寿代の、二十一才のバースデーだから多めにみるとしても、いい加減にしろ。

  • 九月十八日(日)曇り
     希代子は昨夕、東京から乗ったひかりが大雨の為、途中で不通となり夜中の三時半頃帰って来た。寿代は鎌倉行。最近、時々主人と二人だけで夕食とったりするようになり、将来像を見ているような気がする。大した会話もなくテレビだらだら診て寝る、二人共通した趣味を持つなんて考えつかない、お互い別々の趣味に没頭することも今の所ないし。先日、NHKでみた「いい人生だったと言って終わりたい」という番組に出ておられた方のように充実した人生を送りたい、何か役に立つことをして死にたいと、いつも心の中では思っている。あすの命はわからないと、常々思っているが緊迫感がない。情けない、

  • 九月十九日(月)曇り
     おばあさん、食事を三口程口に入れただけで戻してしまった。胃が悪いのかしら栄養の点滴で、命つないでいるようなものだ。その割に床ずれが出来ないのは助かった。

  • 九月二十日(火)
    京都ホテルの話断られたらしい、希代子と寿代楽しみにしていたのに残念。
     
  • 九月二十一日(水)曇り
    保木さんが、お墓参りに行かれる時家に寄って下さったのに、玄関のドアが固く閉まっていた為、留守かと思い帰られて電話下さった。折角お菓子持って行ったのに残念と言われ、水曜日はたいてい家にいるし、鍵はあいているからと言っておいた。

  • 九月二十二日(木)曇り時々晴れ
    おばあさんの病状の説明聞きに病院へ行ったら、大腸の検査中でしばらく待っていたら、先生が来て下さった。胃も腸もさして悪い所はないし、便秘のせいで吐いたり食欲がなかったのだろうと云う事、熱は尿が濃くなって膀胱炎か、じんう炎をおこしたから、大腸の下に初期の小さなガンがあるが良性か悪性か細胞検査をするから十月四日に又、説明しますとの事だった。ガンは内視鏡でレーザーで取れるから、心配ないらしい。むかつきがおさまって食欲が出るか様子を見るそうだ。

  • 九月二十三日(金)
     希代子は会社の人と、城埼行き。寿代は永観堂幼稚園の入社試験、十人のうち一人しか受からないので、多分駄目だろうとおもっていたら、ジャジャジャーン受かりました。夕方五時半頃、幼稚園から電話があった時は、まだ寿代帰ってなかったので、何だろうと思っていたら、寿代が帰って来て電話したら合格との事、飛び上がって喜んでいた。論文は自分の性格とか人間性を書くので、正直に自分の嫌な所を書き、歌い乍らピアノを弾く時はだいぶはずしたりしたので、全然自信なかったのに一体、寿代のどこを評価してくださったのか、寿代の一生縣命さと人間性を、認めて下さったのだと本当に嬉しい。みんなに感謝したい。

  • 九月二十四日(土)晴れ
     夜、以前リハビリセンターで一緒に入院されていた、河辺さんより電話頂いた。足も痛いことなく元気にしておられる様子だったが、息子さんが一人暮らしは心配だから一緒に住もうと言って下さり、息子さんの家に行く事になったので、御仏壇を買い求めたく米澤さんを、思い出したと言われたのでどうぞ、主人が御仏壇のお店を紹介させて頂きますと言ったら、よろしくとの事で買いに行かれる時は、連絡してくださると思う。よく思いだして下さり嬉しかった。

  • 九月二十五日(日)晴れ
     涼しくなってきたら今迄の、疲れが出たのか主人は、最近朝起きるのがしんどいらしい、それでも六時過ぎには起きて仕事に行っている。今日は日曜なので少しゆっくりして出かけ、三時過ぎには帰って来たのでほっとした。一生縣命仕事に励んでいる主人に、仕事以外にことは何もしてくれないとか、趣味のない人だとか、偉そうなことを言って来たことを申し訳なく思う。いつも口では私がこうして家でのんびりしていられるのは、お父さんのおかげだと言い乍ら、感謝の気持ちが足りなかったと思う。

  • 九月二十八日(水)曇り
     夜、主人は会合、希代子も寿代も食事して帰るとのことで、正隆と二人で食事をしている時に、毎月一万でもいいから積立預金するとうに言ったら、友達と遊びに行く時お金がないと心配いやから、余ったら預金すると言うのでそれではお金は貯まらない、最初に預金する分は別にして、残りでやっていけるように言っても、色々いる時があるから一万でも出来ない、だから余った時はするからほっといてと言われた。納得は出来なかったが、干渉しすぎてもいけないと思いそれ以上言わなかった。正隆の方も何にいるかいちいち報告せんならんような、子供扱いはやめて欲しそうな顔付きだった。干渉するような事言ったのは悪いと思うが、一万円ぐらい積立預金するのは決して無理だとは思わない。

  • 九月三十日(金)晴れのち曇り
     生協の助け合いの会の藤本さんに、西友迄連れて行って頂いた。パジャマとブラウスとシーツとテレホンカードを買って帰った。藤本さんは先週御主人と二人で北海道旅行されたとか、亡くなられた息子さんが生前バイクで北海道を一週されたので、息子さんの御供養の為、その足跡をたどって来られたそうだ。二十四・五才の若さで息子さんを亡くされた痛みが、伝わってくるようだ。夫婦で桜を植える会に入って色々な記念の桜を植えておられるとか。私達ももうすぐ銀婚式なのでたいそうなことはしなくても、ちょっと記念になるようなことしてみたい。
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