旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
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  平成十八年 1月〜9月
  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  平成十三年〜平成十八年
  • 平成十三年(二〇〇一)二月八日(木)
     自分で日記を出して、書く事が出来なくなってから、正直には一九九七年八月に、股間節に菌が入り高熱が出て入院してから日記を書く事をあきらめていたが、右手が全く使えなくなりかろうじて左手で食事をしたり、リモコン押したりするぐらいで手を使わない、頭も使わないでいたら増々物忘れが著しくなると思い、再開する事にした、いつ迄続けられるかわからないが、せめてこの一冊はページを埋めたい。一昨日、君子叔母さんからお話を頂いた方の、釣書を寿代が仕事帰りに菊香荘に寄って見せて頂いた時、写真見るなり「ウエーツ」と言って笑ったらしく、昨日、叔母さんよりTELありあんな反応するとは思ってもみなかったと憤慨されていた、良かれと思って紹介して下さった方を、一笑するとは失礼せんばんな話で、私の躾が悪かったのかも知れない。

  • 二月九日(金)
     希代子達が四月の中頃には新潟に、帰る事に決まったので引越の時、和箪笥、整理箪笥、鏡台を持って行かせたいのでそろそろ注文したいが、どの店へ行ったらいいのかわからないので君子叔母さんにお聞きしたら検討して返事しますとの事、電動車椅子で行ける広い店だったらいいんだけど。四月なんてあっという間に来てしまう、かわいいかわいい盛りの、拓ちゃんと過ごせるのもあと僅か毎日がとてもいとおしい。

  • 二月十日(土)
     夕方六時頃から、京都ホテルオークラにて京都府仏具青年会の式典があり、主人も正隆も出席して、主人は十時過ぎに帰ってきた。明日、明後日とみやこメッセ展示会があり、正隆はお昼十二時迄当番らしい

  • 二月十一日(日)
     寿代は夜中二時ごろ、福井の勝山へスキーに出かけた、友達と一緒だが居眠り運転しないか心配、目が冴えて結局一睡も出来ずじまい、主人も一日ベットで寝たり起きたりしていた。

  • 二月十二日(月)
     寿代は夜中十二時過ぎに無事帰ったらしい。十一時にリフト付タクシー予約して主人と、都メッセへ展示会を見に行った正隆の作品は、花御堂の木地で仏壇や御香、念珠等は即売していた。木彫の実演しておられた方に、お願いして私の車椅子のリクライニングの棒を短く削って頂いた。食堂で食事した後、リフトタクシーが来る迄時間があったので平安神宮へ行き記念写真を撮ってもらった。タクシー代往復一万円以上かかりビックリ、これではなかなか出かける気になれない。身体の方は体力が少しついたのか、しんどはならなかったのが嬉しい

  • 二月十三日(火)
    シャワー浴も最近、足しびれなくなった。

  • 二月十四日(水)
     今日は風が強く雪もちらついて、お父さん自転車で寒かったことでしょう。

  • 二月十五日(木)
     訪問看護婦さんが介護の研修会での参考の為に、私がリフト・シャワー浴玄関の段差昇降機を使っている処を、ビデオカメラで撮らせて下さいとの事でお役にたつならと協力させて頂いた。

  • 二月十六日(金)
     正隆八,三度、主人が七度三分熱が出て正隆はねていたらしい。主人もしんどそうだった。

  • 二月十七日(土)
     主人は夕方帰ってすぐに、西京都病院へ行って帰ってきたが、右肩が痛くて右手が使えない様子、使い痛みか風邪からきたのか初めての事で心配。

  • 二月十八日(日)
     伏見のパルスプラザで、奥西家具の家具ヘェアがあるとの事で主人と希代子と拓ちゃんと一緒に行って、希代子の婚礼タンス二さおとドレッサーを消費税込みの六十万で買い求めた。タクシーが来る迄時間があったので他の家具を見ていたら主人が、ベンチ付の食堂テーブルを気に入って注文してしまった。今のテーブルと椅子は二十五年程前に両親が、買ってこの家の中心になっていたし、椅子が少しギーギーしていた程度で、まだまだ充分使えるのに勿体ないと思うが、主人が決めたことなので仕方がない。タクシー待つ時間がなかったら良かったのに、帰り工場の近くのテルサで永観堂幼稚園の園児の発表会があるので寄って来たら丁度、寿代のクラスの子供達が歌っている処で、寿代が指導している処やトトロの伴奏を弾いている処を、見たり聴いたり出来て良かった。

  • 二月十九日(月) 
     リハビリセンターへ診察に行き、体重三十二キロになって先月より一キロ増えた。プレドニン四ミリになった。主人は昨日、テルサから帰ってから右肩が増々痛くなりやっと見てもらえる事になつた所の、マッサージ院へ行ったら五十肩と言われハリ打ってもらったら、一時的に少し楽になったものの、又、痛みがぶり返し今朝もハリを打ったが、あまり効き目がないみたい。

  • 二月二十日(火)
     お参りの日なので車椅子に座っていようと思ったが、今日はなぜかしんどくて起きられなかった。

  • 二月二十二日(木)
     訪看さんに血圧測ってもらったら百五十の百あったが別にしんどくなかったのでシャワー浴させてもらったが後がしんどかった。

  • 二月二十三日(金)
     主人は、やっと少し右手が使えるようになったらしい、それ迄自転車片手運転だったとかよく無事だった事。希代子は拓ちゃん連れて、醍醐寺の五大力さん見に行った、五大力さんの新聞広告の字はこれからもずっと希代子の字が使われるらしい、京都新聞に大きく希代子の字が載っていた。清水さんよりお手紙頂いたので、お礼のTELしている内に息苦しくなって、ハーハー言い乍ら喋っていた、時々そうなるが肺のせいかな。

  • 二月二十四日(土)
     寿代は今日も明日も出かけないから、園児の成長記録の仕事にはげむと言っていたが、希代子も文字書きの仕事や創玄展の出品作に追われて、拓ちゃんの子守を寿代がしていたので専念できなかったらしい、子守しながら用事するのは大変だと、希代子の大変さが少しわかったみたい。

  • 二月二十五日(日)
     正隆は、仕事で松元君と一緒に広島に行っているらしいが、連絡があったのは夕方の五時頃で無事仕事終えて、これから帰るとの事、京都へ着くのは夜中になるんじゃないかな。

  • 二月二十六日(月)
     中信の人が初めて集金に来られたが、やはり普通得金の取扱いは店迄来て下さいとの事、集金員が五人から二人になって忙しいらしい。

  • 二月二十七日(火)
     シャワー浴の後ぐったりして、三時頃迄しんどかった。最近シャワー浴の後よくそうなる。体力ついて元気になったと思っていたのにこれも更年障害のせいかしら。

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  • 三月二日(金)
     ビッツの自動車保険の満期の手続きに、光川さんが来て下さった時、三十二歳の歯科医の方の縁談たのまれているが、寿代にどうかと言ってくださった、条件が良すぎて引いてしまったが、決して引け目を感じる事もないしご縁のものだからと言われた。

  • 三月三日(土) 
     美智子叔母さんが甲状腺の手術されたと、君子叔母さんよりお聞ききしていたので、昨夜家の方にお見舞いの電話させて頂いたが、なかなか病院へは伺えそうにもない。

  • 三月五日(月) 
     主人は三日程前から咳きと熱で苦しそうだったが、病院へ行ったらと言っても私の云う事を素直に聞いてくれた試しはないがやっと、今日は仕事から帰ってから北村内科へ行って薬をもらってきた。

  • 三月六日(火)
     リハビリセンターへ診察に行ったら、一坂先生が三月いっぱいでリハセン辞めて診療所へ行かれるとの事、一坂先生はリハセンに来られて十年程になるのでもうそろそろ転勤かなあとは思っていたがやっぱり、十年もお世話になっていたので私の体の状態を、よくわかって下さっていたので安心していたが、次の先生はどんな方か心配。

  • 三月七日(水)
     昨日美智子叔母さんに、お見舞いの一万円送らせてもらったので、夕方お嫁さんからお礼の電話いただいた、叔母さん入院される前よりお元気になられたそうだ。

  • 三月八日(木)
     最近顔が感想してかゆい、ずっと顔はツルツルできれいと言われていたのに、とうとう老化が進んできた。

  • 三月九日(金) 
     久しぶりに拓ちゃん検診してもらい、先生に手術の時期を尋ねたら八・〇五キロになっているので手術は可能だがこの体重では、輸血の必要があって感染の心配があり、十四キロ以上になってからの方が、その心配が少ないと言われたようだ、よく考えてご両親とよく相談して決めると思う。

  • 三月十日(土)
     拓ちゃん眠剤の影響か足がふらつき夕方迄うつらうつらしていた。

  • 三月十一日(日)
     寿代やっと、園児の成長記録の下書きが出来たらしい、毎年これが悩みの種だったのがやっとスムーズに、書けるようになってやれやれ。

  • 三月十二日(月)
     拓ちゃん醍醐の武田病院でも見てもらったら、小学校入る前後に手術するのがいいと言われ、新潟大学病院がいいとかで三菱病院の先生に、紹介状をお願いした

  • 三月十三日〜十七日
     肩と肩甲骨が痛いと一枝先生や訪看さんに言ったら使い過ぎないよう言われたので、最近調子悪い時は日記を書かないのですぐたまる。最近よく息苦しくなるのは間質性肺炎が進んだのかと弱気になる。

  • 三月十八日(日)
     君子叔母さんの人形展に、希代子は拓ちゃん連れて行って来た。

  • 三月十九日(月)
     リハセンの診察の後、人形展に連れて行ってもらい帰って来たのが、二時三十分頃でへるぱーさんに申し訳なかった。

  • 三月二十日(火)
     希代子は、夕方拓ちゃん連れて友人の結婚式の二次会に出席。主人は、昼間お墓参り、夜、長覚寺様お参り。
                                    
  • 三月二十一〜二十四日
     寿代、信州へスキー出発。二十四日朝五時帰宅。

  • 三月二十五日(日)
     正隆の事で、結婚相談所の人が面接に来てくれて入会の手続きをし一万七千円払う、三日程したら女性のデーターが、パソコンに入力されているとの事。

  • 三月二十六日(月)
     梶田さんの和子さんより電話頂き、先週金曜日に美智子叔母さん、元気に退院されたそうで何より。

  • 三月二十七日(火)
     ヘルパーの谷口さんが、お母さんの介護の為に活動を休まれる為、今日で最後だったので、コーディネーターさんと新しいヘルパーの、古川さんが来て下さった。

  • 三月二十八日(水)
     今週になって又、気温が下がってお天気もあまり良くないので、洛西に散歩に連れて行ってもらおうと思っていたがやめた。

  • 三月二十九日(木)
     希代子は、以前からよく腹痛を起こしていたが、最近はしょっちゅうなので寿代に拓ちゃん預けて病院へ行った。腸より胃が悪いのではと胃腸薬飲んで様子見て治らなければ検査するとの事、悪い病気じゃありませんように。午後、小石皮膚科の先生が往診に来て下さり私の顔とお腹の湿疹を見て頂く、やはり乾燥しすぎて油分が表面に出てこない為らしい、顔も身体も洗いすぎないようにとの事。

  • 三月三十日(金)
     寿代出勤。正隆のパソコンデーターに正隆の条件に合う人は一人だけなので次のデーターえを待つ。

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  • 四月一日(日)
     午後、主人と希代子と拓ちゃんと私の四人で、桂中学の前を通って上桂駅迄花見にいった。まだ七分咲きぐらいだったが、拓ちゃんは仕草が増々かわいくなって、本当にいとおしい。

  • 四月二日(月)
     リハセンへ診察、心電図の検査してもらったが、異常は見られず二十四時間心電図つけることになり血液検査もして頂いた。次は二十六日にエコーの検査に来なさいとの事。

  • 四月四日(水)
     主人の五十八歳のバースデー。寿代は、残業で毎晩おそい。年長の担任になったので大変そう。

  • 四月七日(土)
     うちの家にたのんだかれいと甘海老が届いたが、甘海老の頭の味噌の部分の色が悪くやわらかいと言われ、魚屋さんにその旨電話したら今は脱皮の時期でそういうものです、美味しいのは今が一番いい時ですと言われた。確かに身は甘くおいしかった。

  • 四月八日(日)
     昼から希代子は、宇治の友人の所へ行ったので寿代と拓と中学前の桜を見に行き、帰ってから今度は、主人が公園とかに連れて行った。主人は、夜久し振りに町内の中出さん宅でテニス仲間と食事頂いた。

  • 四月九日(月)
     夏日で、二十七度程ありあつかった。

  • 四月十日(火)
     君子叔母さんは、菊香荘のガレージの扉が叔母さんの上に倒れてきて、腰骨にひびが入ったらしい。

  • 四月十一日(水)
     三日連続夏日であつかった。

  • 四月十三日(金)
     希代子は、象山先生の奥様の玉龍先生が、姫路のお宅で書道教室をしておられるのを見学させてもらうため、朝六時半に家を出た。拓ちゃんは泰之さんが仕事休んで見てくれたが、朝七時過ぎに拓ちゃんを連れて降りた後、上に上がって寝てしまい呼んでもなかなか降りて来ず、ヘルパーさんがしびれきらして、上の階段上がって呼んで下さりやっと十時過ぎに降りてきた。たまの休みで疲れて起きられないのはわかるが、拓ちゃん可哀想でヘルパーさんにも悪い、起きて来てからは希代子の書いていたスケジュール通りに見てくれた。希代子は三時四十分に帰って来た。

  • 四月十五日(日)
     テニス仲間だった、高坂さんが亡くなられて一時からの、お葬儀に行って帰ってから、主人と、希代子と、拓ちゃんと一緒に公園にいった。お正月に行った時よりずっとしっかりして来た、じいちゃんじいちゃんと、呼べるようになって本当にかわいい。

  • 四月十六日(月)
     郵便局に預金していた、希代子名義の半年定期の分を解約したのを、現金で持って来てくれた。八十万程利息がついていて、二百四十万程もらえたので、百万は希代子の持参金として、後はタンス代六十万、デロンギ、ミシン、アイロン等八万と、引越し費用十六万と、車の保険十万程を払うのに使い、残りは家で使う事にした。

  • 四月十八日(水)
     泰之さん、朝十時半頃仕事から帰って来たので、親子三人でお墓参りに行って大丸寄って帰ってから、お寺の女事務員さんのバースディプレゼント買いに、京都ファミリーに行き、京阪セロハンに挨拶に寄って帰って来た。夜は、女事務員さんと一緒に、親子三人『くうかい』と云う近所の、居酒屋へ食事に行った。

  • 四月十九日(水)
     訪看の山田さんが、希代子達が引っ越して、昼間 私一人になったら何かあればケイタイに電話してくれたら、すぐ来ますからと言って下さり心強い。光川さんが、車の保険の事で来て下さったので、又 他の方がおられたらお願いしますとたのんだ。

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