旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
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  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  平成十三年〜平成十八年
  • 平成十七年(二〇〇五年)一月一日
    お兄さん、元日に成田に着いたと電話あり、お姉さんの遺体は、後日日本に着く予定。

    異国にて 津波にのまれし 兄嫁の  報せにニュース 逃がさず見入る

    コロンボへ 遺体確認に 向かう兄  ニュースに映り 現実を知る

    津波受け 命助かり 帰国の人  明暗分けし 人の運命

    職人の 夫に今年も 仕事なく  パソコンに向かい 囲碁に打ち込む

    父と子の 軽い言い合い たのしみて  絆に酔いし 夫の可愛さ

    大雪に 耐えし被害地 春遠く

    一月の 店にいかなご ホタルイカ

  • 一月三日 
    兄嫁 御遺体帰宅 五日 前夜葬 六日教会にて葬儀

  • 二月六日 
    新車のリフトカー届く、早速、主人と正隆、私の三人で、森佐代子さんの人形展見に文化博物館へ行った。君子叔母さん、弓子ちゃん、夕子ちゃん、一弘さん、寿代に会えてよかった。その後、福田人形店に行き佳音ちゃんにお雛様を買った。五十七万の品を、送料消費税込みで、三十万にしてくださった。

    動けぬ身 夜半もよおし 夫見る  寝返り打つを ひたすらに待つ

    海草を 巻き上げし 日本海

    新潟に 雪解けありて 雪崩起き  無事を祈らん 春来までを

    日陰にて 自己主張する 沈丁花

  • 二月十一日
     主人と、みやこめっせとダイヤモンドシティへ行った。

  • 二月二十日
     故園子姉上五十日式。兄上よりお茶、三好家より讃美歌CD、幸子姉上と組んで昆布。交通費 三万頂。

  • 二月二十五日 
    兄上よりお供え返礼商品券、六万円頂く。

  • 三月十三日(日)
     寿代宅訪問。瀬田の両親宅へも挨拶に伺う、雪の舞う寒い一日だった気候の良い時に又、行きたい。

  • 三月二十六日(土)
    正勝兄さん来られる、三好さんの故お母さんの十三回忌の後、夕方四時頃来て下さり、君子叔母さんもその後、春香ちゃん一家と来て下さった。三月二十一日牧野訓三さん急逝。庚ちゃんが喪主となり、二十三日通夜、二十四日葬儀の為、千葉よりお兄ちゃん来られる。二十三日の通夜の後、出席出来ない令子ちゃんも来て、久し振りに兄妹で話が出来た.牧野家から嫌味を言われたらしいが、庚ちゃんがしっかり喪主をつとめて成長振りが嬉しい。

  • 四月四日 
    お父さんの六十二才誕生日。依生ちゃん保育園入園式。寿代おめでた二ヶ月予定日は二週間後でないとわからないらしいが、大体十二月初旬らしい。

    春雪に 桜莟みも ちぢこまり  畑の菜の花 耐えて咲きおり

    昨夜まで つぼみの桜 陽光に  一斉開花 ニュースがとび交う

    桜愛で 愛風心に 目覚む人

    海に舟 桜、菜の花 松林  丘より眺む 故郷の彩 

    家の前 町内の子ら 遊ぶ声  混迷の世に 嬉し音なり

    竹林で マイナスイオンを 浴び乍  桜見上げる空 狭きかな

    どこよりも きれいと褒める 庭の花  手入れいそし夫 黙しており

  • 四月十四日
     洋子来訪 西方寺川に花見に行き、満開の桜やしだれ桜にため息。

    年一度 介護職員の 友来る 車椅子の 吾と桜愛でおり

    蕾つき 宿りし生命 花びらが 舞い散る頃に 共に散り逝き

    筍の 湯でし匂いは 生まれたて  赤児となぜか にてはいまいか

    連休に 娘一家が 来る報せ  待つ間の楽しみ 本番勝る

  • 五月二日 
    主人が東京駅迄娘・孫を迎えに、東京駅迄新潟のお母さんと叔母さんが送って下さっり東京駅で合流。自宅に四時着。拓ちゃんは咳をしていたが、皆元気で会えて良かった。依生ちゃんはしっかりしゃべってしっかり歩き、昨年とはとても成長した。佳音ちゃんは、前歯が二本生えて、ニコニコと愛想が良くとても可愛い、ちっともぐずらずしやすい赤ちゃんだ。

  • 五月四日
    寿代の家に行き、庭でお昼をご馳走になり一弘さんもみんなで琵琶湖博物館へ行き、希代子と孫は大津の家で泊まった。翌日、近鉄の屋上で待ち合わせ乗り物で遊んだ。

  • 五月六日
    佳音ちゃんが夜中、九・四度の熱を出したとかで、拓ちゃんも風邪がちっとも治らないので、菊香荘にお土産持って挨拶に行ったら、お医者さん連れて行くと雨の中タクシーで出かけた。しばらくして君子叔母さんが、依生ちゃん連れて送って下さった。希代子と拓と佳音が帰ってから、叔母さんが「さんすい」で、焼きそばを買って来て下さった。夜、拓ちゃんと依生ちゃんがスポンジの敷物で、お家づくりをして遊んでるのを見てから、さあベッドで寝ましょうと、寝させてもらってから寒気がしてそれから熱くなり、夜中胸が苦しくて一睡もできず、朝、八・三度熱がありしゃべる元気もなかった。十時に訪看さんに、着て頂いたらすぐ病院で診てもらうようにと云う事で、丁度来てくれた寿代と西京都病院へ行ったら、肺炎おこしているから入院と言われそのまま入院。希代子達を見送る迄、元気でいたかったのに残念でも今年は、回復も早く十三日間で帰ってこられた。

    三人の 孫の笑顔は 活力源  なのにダウンし また入院

    病室の 壁と天井 見つ続けて  思うは孫の 言葉と仕草

    退院し 庭の花々 咲き代わり  過ごした日々の 短くも長く

    六月に 入ってやっと 体調良くなる

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  • 六月十五日 
    依生三才誕生日。野球バット・ボールとTシヤツ・ゼリー・佃煮等、寿代に買って来てもらい送る。

  • 六月十六日 
    正隆三十三才の誕生日。インターネットの結婚情報に登録。

  • 六月二十三日
    希代子より、ビデオと写真届く。佳音ちゃん増々女の子らしく可愛くなってきた。拓心と依生はとうちゃんにバリカンで、丸坊主にしてもらい涼しそうで、ワンパクそうになった。みんなごはんもよく食べるようになって、元気にしているそうで一安心。寿代の友人の御主人の紹介で、結婚のお世話されている方に来て頂き、主人も正隆も交えて話をし登録した。

    どしゃ降りの 水たまりの中 めがけ行く  昔の癖で 車椅子のまま

    一年を 待ちわびて咲く 紫陽花

    皮はじく 一瞬声す アガパンサス

  • 七月三十一日(日
    園子姉上の納骨式。君子叔母さん・幸子姉さん・主人出席。一万円お供え、正勝兄上より車代三万円頂く。正隆愛宕山へ千日詣り、お札勝って帰る。(一枚 三百円)

  • 八月十四日(日)
    寿代夫婦来てくれる。三平で、トンカツ買って食べたらやわらかくて美味しかった。

  • 八月十五日(月)
    皆、それぞれ別にお墓参り。夜、久振りに焼肉する。

  • 八月十八日(木)
    拓心の、バースデープレゼント(トーマス)と依生に、電車の運転手さんの本と、ゼリー菓子等送る。

  • 八月二十二日
    拓心が,FMラジオでインタビューされたテープを、電話できかせてくれた。大きくなったら、ジャスコのオモチャ屋さんになりたいなど、割としっかりしゃべっていた。

    町中に 秋の気配は なけれども  陽の傾きは 日に日にはやく

    災害の 少なき町に 住み慣れし 不自由な身の被災 胸痛む

    被災地で ボランティアする中高生  子供の未来 信じたくあり

    のんびりと 車椅子にて 観るテレビ  自然の風景 至福の時間

    列車には 乗れぬ身となり 鉄道の 旅番組で 地球を廻る

    ポケットに 団栗六っつ 帰り道

  • 九月十五日
    新道寺様にて、主人始めての講話、お礼三万頂く。他、お弁当・線香・お菓子の餅菓子

  • 十月二日
    園子様、米澤家のお墓に分骨。後上桂で昼食 。(正勝兄上・幸子姉上・君子叔母様・三好宏様・厚子様・一弘・寿代・正隆・正文・容子)

  • 十月九日
    佳音ちゃん1才誕生日。洋服プレゼント。美濃部さん奥様一周忌、御供え一万円。

    目と耳と 口がきけたら 良しとする  家族と暮らせ 喜びとする

    天高し 宇宙から観る 地球かな

  • 十月二十九日
    高槻三好家お墓に、園子姉様分骨。

  • 十月三十日
    正林寺様報恩講。京都府の伝統工芸士技術優秀者賞に、主人が内定。

  • 十一月三日
     正隆は、一時半に京都駅のグランビィアで見合い、六時頃帰宅、何を聞いても生返事で会話が続かず暗いから断ってくれとの事、期待していただけに残念。

    自然愛で 野鳥写真 遺し姉  鳥観る度に 貴女と合いぬ

    小春日に 遅き咲くきたる ルリマツリ

  • 十一月十八日
    希代子・佳音と帰洛。 十九日は書道展。

  • 十一月二十一日
    府公館にて表彰式。 山田知事より、主人は表彰状、私は功労金二十万頂く。

  • 十一月二十二日
    十一時過ぎ希代子と佳音、新潟へ帰る。四時頃、着いたらしく佳音も、皆に会えてニコニコしていたらしく、拓心と依生も喜んでいた。

  • 十一月二十三日 
    京都文化博物館へ名工展を見に行く。主人が出品した花御堂が、目立つ場所に展示されていた。私達が出かけた後に、澤井 浩さん夫婦が立派な蘭の花を、御祝に持ってきてくださったらしい、田畑龍子さんが、受賞の新聞を見て澤井さんに知らせて下さったそうだ。

  • 十一月三十日
    美智子叔母さん・和子さん・君子叔母さん・大助ちゃんが御祝を、持て来て下さった。喜治さん・明子さん・佳代子さん・弓子さん・夕子さんからも、一万円づつ御祝頂く。

  • 十二月十七日
    希代子・拓心・依生が夕方上桂宅到着、三人共風邪もひかず元気で何より。

  • 十二月十八日
    一弘さん・寿代と一緒に希代子達は、木下大サーカスを観に行き、帰りにジャスコで遊ぶ、泰之さん夕方六時半頃来宅。

  • 十二月十九日
    昼から宮原さんに、来てもらい主人は、紋付袴・希代子は、訪問着を着せてもらい、皆で京都ホテルオークラへ、リフト付車を主人が運転して出発。多勢の方が来て下さりいい雰囲気で祝賀会が終わり、やはり祝賀会をして良かったと思う。帰りは代行を頼み帰宅。主人十一時頃・正隆・泰之さんはもっと遅かった。
     
  • 十二月二十日
    昼前に、希代子一家は大急ぎで、荷物をまとめて新潟に帰った。夕方皆無事に着いたとの報せにやれやれ。私も孫達も、元気に祝賀会に出られて本当に良かつた。

  • 十二月二十七日
    やはり祝賀の疲れが出たのか二十六日夜から、しんどくなり一睡もできず朝、訪看さんに来て頂き入院となる

  • 十二月三十一日
    一弘さんの、お父さんが夜中にトイレに行こうとして、階段から落ちて頚椎損傷で、入院し四肢摩樽で、首から下が全く動けない状態になったとの事で、私の肺炎どころではなく大変な事になってしまった。 
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